介護福祉士の資格を取り、リーダーとして活躍し始めたUさん。何気なく始めた介護の仕事を、「専門職」として意識し始めたとき、いつの間にか、職場で重要なポジションを得ることができました。しかし、それがまた、Uさんを苦しめ、転職のきっかけになってしまいます。今回は8年も務めた特別養護老人ホーム(特養)を退職するUさんの心理をお伝えします。
*U・Tさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
U・Tさん(45歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…20年
●転職回数…4回
●介護の仕事に就く前の経験…写真現像所受付、宅配食材営業、ファミレス調理員
●いままでの勤務先…特別養護老人ホーム(3施設)、訪問介護事業所、在宅支援センター、居宅介護支援事業所
●保有資格…介護福祉士、介護支援専門員
現場主任になったものの、ねたみを向けられて……
特養に4年勤務したところで異動になり、併設のデイサービスに2年勤め、また元の特養に戻ってきました。ちょうど現場主任が辞めたのもあって、私がそのポジションに就任。60人のスタッフを束ねる立場になりました。
しかし、喜ぶどころではなく、すぐにプレッシャーに押しつぶされました。勤務表を作るだけでもとにかく大変なんです。みんなの希望を聞きたいのですが、全てを受け入れるわけにもいきません。一人を立てれば、もう一人に無理をしてもらわねばならない。みんなから文句が出るのです。現場の職員は、現場に出ない私の言うことは聞いてくれませんでした。「私たちの仕事のこともよくわかってないのに。上から目線で冗談じゃないわよ」みたいな悪口が聞こえてきます。そんな気持ちはぜんぜんないのに……。この人達に納得してもらうには、現場もやるしかない。そう考え、昼間、事務仕事をやってから現場に入るシフトを自分でつくったんです。それを実行したら、毎日、朝6時出勤で帰宅が夜12時を回るようになりました。それでようやく、文句が出なくなったんです。
すぐにバテるだろうと自分では思っていたのですが、躁(そう)状態のようになっていたんですね。2年近くもその状態で働きました。本当によく体がもったと思います。家族は、残業で遅くなっているとは思っていなかったようです。飲みに行ったり友達と会ったりして遅くなっているのだろうと。
ところが、ある日、体調不良で1日休んだら、起き上がれなくなりました。やっぱり体は正直です。でも、体が疲れていただけではない、むしろ心のほうが疲れ切っていたんですね。翌日も、その翌日も起き上がれず、食事もとらず、雨戸もあけずに布団で丸くなっている私を見て、家族が異変に気づいたんです。これはおかしい、病んでいるのではないか。当時の彼も心配して、私を病院に連れて行ってくれました。抑うつ状態だったようです。仕事を休みなさい、と医師に言われ、4カ月休職しました。
でも、仕事は好きなのです。戻りたいと強く願って、4カ月を待たずに復職しました。最初は非常勤でした。まだフルタイムでやる自信がなかったんです。社会福祉主事の資格を持っていたので、上司が「相談員のフォローとして復職してください」と言ってくれ、まずは事務仕事中心で働くことになりました。
8年勤めた特養をとうとう辞めることに
ところがまた、現場から文句が出る。「なによ、休んでばかりいて、戻ったらラクな事務仕事だなんて」と。かばってくれる職員もいましたが、その人までバッシングされ、派閥争いみたいなことになってしまって。まわりを巻き込んだこともプレッシャーになり、復職して1年勤めたところで「辞めよう」と決意しました。仕事を失うことにためらいはありませんでした。仕事は好きでしたが、もうこれ以上、巻き込まれるのはいやだ、という気持ちでいっぱいになっていました。
そのころ、ケアマネジャーの資格を取ろうと思っていたので、試験2か月前に退職。訪問ヘルパーのバイトをしながら猛勉強した結果、ケアマネジャーの試験に合格しました。やめてよかった、と思いました。新しい一歩を踏み出すチャンスになったのです。
介護職として、ある程度の自信が持てるようになったのは、この頃でしたね。最初は無資格で、介護の知識もなく、オムツ替えもヘタだったし、時間もかかった。そんな自分にコンプレックスがありました。
けれど、利用者さんたちのことは初めて介護の仕事に就いたときから好きだったんです。ぜんぜん何もできなかったけれど、利用者さんたちにかわいがってもらえたんですよね。訪問ヘルパー時代もそうでした。家事もあまり上手ではなかったので、モタモタする私に、利用者さんが、「お家で何やってきたのよ、掃除はね、こうやってやるのよ」なんて教えてくれる。「ああ、そうですか! すごい、きれいになりますね!」なんて感動していると、ますますいろいろ教えてくれて、自分でどんどんきれいにしちゃう。あれ、私がモタモタしていることで、自立支援ができちゃうじゃない! って。
テキパキと利用者さんの「お世話」ができる優秀さは私にはないけれど、もしかしたらお年寄りと仲良くして、おしゃべりしながら気持ちよく刺激して、元気になってもらうことができるんじゃないかと。
自分は介護職として欠点はたくさんあるけれど、強みを生かしてやっていけばいいのではないか、そう開き直れました。人はだれでも苦手なところと得意なところがあるけれど、得意なところを伸ばしていけば、うまくいく。でもそれには、自分を知らなければいけません。「自己覚知」って大事だなと思いました。
ただ、退職して間もない頃は、「もう特養時代のような人間関係のめんどくささを味わいたくない」という気持ちが強くて。しばらくは、仕事そのものに専念できるような環境で働きたいと思っていました。また人間関係がこじれて具合が悪くなるのもいやですしね。そんなとき、友達の母親が所長をやっている、当時あった在宅支援センターに誘われ、そこでケアマネジャーとして働くことになりました。
次回は介護離職の危機にさらされたUさんの体験をお伝えします。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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