■書名:生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ
■著者:髙口 光子
■出版社:講談社
■発行年月:2016年11月
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利用者の最期に向けて、介護施設でのターミナルケアを考える
私たちはどこで死を迎えるのか? この問いに多くの人は病院と答えるかもしれない。
人口動態統計(厚生労働省 2015年)によれば、実際に亡くなった場所は病院76.6%、自宅12.7%、介護施設8.6%。「病院で亡くなる」のは日本人の死生観と言ってもよいだろう。
しかし2006年、介護保険に「看取り介護加算」が設けられ、「介護施設で亡くなる」割合は今後も増えるものと思われる。
著者の髙口さんは、自身が看介護部長を務める介護老人保健施設で早くからターミナルケア(終末期ケア)に力を入れてきた。
本書では、介護施設と医療現場での看取りの違い、介護施設ではどんなケアが受けられるのか、多くの実例とともに介護職員の立場から詳しく紹介している。
髙口さんには、自身の母親を病院で亡くしたとき、懇意にしていた看護師さんが職務の合間に駆けつけて遺体に手を合わせてくれたことで、母が一人の人として扱われたと思えたという経験がある。
その経験が、介護施設で一人の人を最後まで見届けるときに、何が大切かを考えるきっかけになったという。
病院が病気を治すことを目的とする場であるのに対し、介護施設は入居者のその人らしい生活を最後まで支える場であるという大きな違いがある。
機能障害を抱えていても、それをも含めて、かけがえのない一人として生活を支えるのが介護職だと髙口さんは言う。
<私たち介護職は、普通に生きることがすでに「危ない」お年寄りの、普通に生きることを懸命に支える覚悟をもって、日々入居者の皆さんに接しています。なぜなら、私たちの仕事は一人ひとりのあたりまえの生活を一緒につくることだからです。その人に役立つ物を準備し、その人のために勉強し、練習し、何度も話し合い。ときに「やってみなければわからない」ことを仲間とともに繰り返し、振り返り、お年寄りと一緒に泣いたり笑ったりしながら、「その人らしい生活」を作っていきます。>
「その人らしい生活」の最終場面が、看取りということになるのだが、どのような最期にするのかを決めるのは入居者本人とその家族である。
ターミナルケアの段階になると、本人と家族にさまざまな選択が迫られる。
・口から食べられなくなったとき、チューブをいれるのか
・状態が急変したとき救急車を呼ぶのか
決めていたはずなのに気持ちが揺らぐ家族に、適切な情報を提供し、その意思に添った手配をするのが介護職員の役目だ。
大切な身内を看取った家族が、後悔することのないように「家族は大いに揺れていいし、一度決めたことに縛られず、何度変更してもいいのですよ」と伝えられる介護職員が、髙口さんのいう望ましい姿だ。
本書の後半では、髙口さんが勤務する施設でのさまざまな看取りのケースが紹介されている。
・チューブを入れず点滴だけで1カ月延命したおかげで、心の整理がついた妻
・施設での平穏死を決めていたのに、いざ急変すると入院し、どんどん体に取り付けられる医療器具におろおろする娘たち
・食べたいものをわずかでも食べて死を迎えたいという叔母の願いを聞き届けた甥
必ずしも入居者本人の思い通りになっていない、明らかにつらい思いをさせていることもある。それでも、家族が懸命に考えてしたことには「これで良かったのですよ」と言い切る。
どんなに疑問や反省の残るケアであったとしても、対応として、仕事として反省するのは、介護職員の問題だという髙口さんの姿勢に、介護職員のプロとしての矜持を感じる。
毎日が忙しい現場にあっては、理想論に感じられることもあるかもしれない。しかし、そのあるべき姿を確認するために、ぜひ一読してもらいたい。
著者プロフィール
高口 光子(たかぐち・みつこ)さん
理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士。現:介護アドバイザー、介護老人保健施設「星のしずく」看介護部長。
高知医療学院を卒業後、理学療法士として福岡の病院に勤務するも、老人医療の現実と矛盾を知る。より生活に密着した介護を求め、特別養護老人ホームに介護職として勤務。介護アドバイザーとして活躍する一方、現場を守りながら若い運営スタッフやリーダー育成にも取り組んでいる。