老衰死の増加は看取り第二世代の新たな選択か
最近は、「老衰」で亡くなる高齢者が増えているといいます(*)。老衰とは、年を重ねることで身体の様々な器官の働きが衰えていき、命を終えることを指しています。
老衰死が増えたのは、命の終え方を本人が選ぶようになってきたからかもしれません。ある介護施設の施設長は、「親の介護を経験した子世代が介護を受ける立場になり、その経験から学んで自然な死を選ぶケースが増えている」と語りました。親の介護の時には胃ろうを作り、意識を失ったときには救急車で搬送し、蘇生術を行ったかもしれません。10年、20年前は、それが当たり前のように行われていたからです。人工呼吸器でも何でもいいから、とにかく大切な身内の命をつないでほしいと、医師に頼んだ人も多かったことでしょう。
しかし、親を見送った子世代は、それで本当に本人は幸せだったのかと考えたはずです。命の期限はほとんど尽きているのに、機械によって生きながらえていたのは、誰のためなのか。それで本当によいのか…。
「老衰、あるいは自然死は、そう考えた“看取り第二世代”の新たな選択だ」と、この施設長は語っていました。
場合によっては、QOL優先し治療をしないという選択肢も
こうした流れに合わせるように、日本呼吸器学会の成人肺炎診療ガイドラインの改訂が進められています。肺炎は高齢者の死因の第3位。終末期には、食物や唾液が肺に入って発症する誤嚥性肺炎で亡くなる高齢者が多いのです。
そこで、病院や介護施設などで肺炎を発症した際、終末期や老衰の場合は個人の意思を尊重し、QOL優先の治療をするという方針が提案されています。現在のガイドラインでは、まず重症度を見て治療を決めるのですから、これは大きな変化です。
肺炎の治療薬は抗菌薬ですが、アメリカでは、抗菌薬での治療効果とQOLについての調査結果が報告されています。抗菌薬での治療を行わないと、亡くなるまでの期間が短くなる。しかし、治療を積極的に行えば行うほど、QOLは下がっていくというのです。
寝たきりの高齢者の場合、誤嚥性肺炎を繰り返しやすく、抗菌剤で治療して改善しても、薬を止めるとまた悪化することも多いとのこと。そういう高齢者には、抗菌剤を使わない、つまり積極的な治療は行わずにQOL維持を優先することを考えるべきだという意見も出ています。
看取った人たちをケアする場がほしい
今後は、そうした高齢者を介護施設や在宅でケアすることが増えていくかもしれません。そうなると、求められてくるのが介護職の力です。微熱があったり、のどがゴロゴロしたりしている高齢者を受け入れるには、ケアの知識だけでなく覚悟もいります。誤嚥リスクが高いため、食事介助にも時間がかかります。いつ何があってもおかしくない状態であることを、家族に十分に説明し、理解してもらう必要もあるでしょう。
そして、何かあったとき。それは、自然な死を迎える流れの中で起きた必然なことだと、家族とともに受け止める心構えが必要です。人の死を目の当たりにするのは、本当に重い経験です。グループホームでの夜勤の時、初めて利用者の思いがけない死を経験したある介護職は、1年間、誰にもその体験の詳細を語ることができなかったそうです。
しかし、できるならそうした経験を通して感じたこと、考えたことを語れる安心、安全な場が欲しいもの。自由に語り、利用者の死と向き合った重い経験をみんなと共有することで、経験した本人は重い気持ちを少しは解放することができるでしょう。そして、その経験は本人だけでなく共有した周囲の人にも生かされていきます。
介護職、そして家族など、看取った人たちをケアする場。そんな場を用意することで、病院ではなく生活の場での自然な看取りが広がっていくといいですね。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・介護福祉ライター)>
*「自然に逝きたい」増える老衰 延命に疑問 変わる死生観 (日本経済新聞2016年6月6日)