オランダで認知症女性の安楽死が無罪に。裁判のポイントは?
2020年3月、オランダの最高裁判所で、認知症のある人を安楽死させ、殺人罪で起訴されていた医師に対し、無罪の判決が下されました(*1)。
オランダでは、2001年に「要請に基づく生命の終焉並びに自殺幇助法」という安楽死についての法案が成立しており、世界で初めて国が法律で安楽死を認めています。
この法律では、安楽死の実施前に意思の確認が必要だとしていました。
しかし、今回の裁判で争われていたのは、2016年にあった重度の認知症のある74歳の女性への安楽死です。
この女性は医師が安楽死させた当時、介護施設に入所しており、意思を十分に確認できない状態にありました。それでも、介護施設入所前に、本人が事前指示書で安楽死の希望を示していたことから、家族の意向なども踏まえて実行された安楽死が、今回、容認されたのです。
オランダでの安楽死の歴史
安楽死に関して、オランダには長い歴史があります。
まず、1971年。夫婦で医師をしている女性が、脳溢血の後遺症に苦しむ実母の求めに応じて、安楽死させた事件(*2)。
この母親は脳溢血後、マヒや言語障害に悩み、「死にたい」と言って、何度もベッドからわざと落ちるなどの自殺未遂を繰り返していました。
医師である女性は母親の安楽死を決意し、同じく医師である夫に相談。
その後、モルヒネで安楽死させたあと、事情を記した文書を持ち、自首しました。
この事件が公表されると、世間はこの女性医師に強い同情を示し、安楽死に大きな関心が集まりました。中でも多くの医師が、「自分もこの医師と同じような罪を最低1回は犯したことがある」という文書に署名し、法務大臣に提出したのです。
この女性医師に対しては、最終的に、懲役1週間・執行猶予1年の判決が下りました。
このとき、安楽死を容認する条件として、以下の4つが認定されました。
(1)不治の病
(2)耐えがたい苦痛
(3)自分の命を終わらせたいという本人の意思表示
(4)担当医または担当医と相談した医師による安楽死
「かかりつけ医」との関係の深さが安楽死合法につながった?
その後、「オランダ自発的安楽死協会」が設立され、医師による自発的安楽死を容認するよう法改正を求める活動が始まりました。
また、法律家による「自然的安楽死財団」が設立され、安楽死の理論や学問の面からの検討も始まりました。この財団では、よりよい安楽死の方法を模索する活動を行い、出版活動等を通して、裁判所や政府機関にも影響を与えました。
さらに1981年には、「オランダ国家安楽死委員会」と「検察庁長官委員会」を設置。医学的に実施された安楽死事件は、「検察庁長官委員会」で、まず起訴の必要性を審議することが決まりました。
その後も、1982年に94歳の女性に対する医学的に行われた自発的安楽死事件がありました。この事件は、最終的には法律上、「医師の緊急避難」が認められ、医師の行為に違法性はないという判決が下りました。
また、1994年には、最高裁の裁判で、生きる希望を失った、病気のない50歳の女性の自発的安楽死を認める判決が下りました。
これにより、オランダでは病気の有無にかかわらず、医師による自発的安楽死が認められることになりました。
こうした経緯を経て、2001年に「要請に基づく生命の終焉並びに自殺幇助法」が成立したのです。
その背景には、オランダでは国民全員が自分の「かかりつけ医」を定め、政府に届け出るという「かかりつけ医制度」があります。
長い付き合いとなる患者とかかりつけ医との関係は深いとのこと。だからこそ、患者からの自発的安楽死の要請についても、その要請の持つ意味を、かかりつけ医が深く理解したうえで判断できるのでしょう。
また、個人の自己決定権を尊重する、オランダ人の国民性も影響しているという指摘もあります(*2)。
自分の「死」を自分で決められない日本
日本でも、いくつかの「安楽死」に関する事件が発生しています。
1991年には、家族からの要請で多発性骨髄腫の58歳男性に塩化カリウムなどを投与して死に至らしめた東海大学安楽死事件がありました。
この事件の裁判では、医師による行為が正当化される要件として、以下の4つが挙げられました。
(1)患者が耐えがたい苦痛に苦しんでいること
(2)患者の死が避けられず、その死期が迫っていること
(3)患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし他に代替手段がないこと
(4)生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
しかし、この事件では、1・3・4の要件を満たしていないとして、嘱託殺人罪ではなく殺人罪で、懲役2年・執行猶予2年の有罪判決が下っています。
その後、1998年には、やはり家族からの要請で、気管支喘息から心肺停止し、脳死状態に至ったと判断される58歳男性について、医師が気管内チューブを抜管したうえで、筋弛緩剤などを投与して死に至らしめた川崎協同病院事件もありました(殺人罪で懲役1年6か月・執行猶予3年)。
東海大学安楽死事件と川崎協同病院事件では、どちらも殺人罪が適用され、有罪判決が下っています。
法学者には、死以外に取り除く方法がないほどの耐えがたい苦痛に苦しみながら、死を望むという明確な意思表示できる状態があり得るのか、という疑問が示されています。また、法制化されれば、それを濫用し、回復の見込みがない患者に死が強要される恐れがあるという指摘もあります。
「長く生きすぎた。もう死にたい」という声は、筆者が介護施設で心理士として勤務していた頃、認知症があり、介護施設で暮らす高齢者から、しばしば耳にしました。しかし日本では、その望みに応える体制の整備はまだまだ先になりそうです。
「死」とは誰のものなのか。
命の最後を自分で決めることは許されないのか。
難しい問題です。
<文:介護福祉ライター・社会福祉士・公認心理師・臨床心理士
宮下公美子>
*1
認知症患者の安楽死、過去の合意で可能に オランダ最高裁(ニュースジャパン 2020年4月22日)
*2
「オランダで、安楽死の容認はなぜ可能なのか」京都大学名誉教授 星野一正氏(「時の法令」2001年9月30日号掲載)
おすすめ情報