家の内外が足の踏み場もないほどのごみで覆われた、いわゆる「ごみ屋敷」。地域包括支援センターやケアマネジャーが、対応に悩むケースの一つとしてあげる存在です。多くの場合、近隣住民から「臭いがひどい」「火事になったら不安」「ネズミが出て困っている」などと訴えがあり、行政などが関わるようになります。といっても、個人の敷地内での暮らし方に、行政もなかなか口出しはできません。中には解決までに1年以上かかったケースもあります(*)。
ごみがなくなると、精神的に不安定になることも
そもそも、「ごみ屋敷」ができてしまうのはなぜでしょうか。理由としては、下記のようなケースなどが考えられます。
●加齢により理解力や判断力が低下し、ごみの曜日や分別の仕方がわからない
●認知症になり、家の中を片付けたりごみを捨てたりできない
●朝起きられなくなり、収集日にごみを出せない
●配偶者が亡くなったり、子どもが独立したりして一緒に暮らしていた家族がいなくなり、寂しさからものをため込んでいる
●精神疾患からくる不安により、ものをそばに置き、外界から身を守るバリアーにして心を安定させようとしている
「ごみ屋敷」への対応方法は、「ごみ」に見えるものをため込む背景によって違います。居住者がごみを捨てたいのに捨てられなくて困っている場合は、捨てられるように支援することで解決できそうです。寂しさからものをため込んでいるなら、寂しさを感じさせない人的環境をつくっていくことが必要でしょう。精神疾患がある人なら、医療機関につなげて、適切な治療を受けることで変わっていくかもしれません。
しかし、いずれの場合も、周囲に影響が出るほどの「ごみ屋敷」に至ったからには、何か心の問題を抱えている可能性が大きいと思われます。本人もごみを捨てられなくて困っていた。そこに支援が入ってごみの撤去を手伝ってくれることになった。本人も喜んでごみの撤去を望んだ。しかし、いざ撤去してしまうと、いきなり裸にされたような不安感に駆られ、精神的に不安定になる場合もあります。
高齢者が、ごみをため込まずにいられなかった苦しさを思う
そうさせないためには、やはり時間をかけた支援が必要になります。
本人が望んでためたにせよ不本意であったにせよ、身の回りを覆い尽くしていたあふれるほどのごみは、本人にとって「あって当然のもの」となっています。「あって当然のもの」がなくなれば、誰でも不安になります。そこで、「あって当然のもの」に代わり、本人を安心させる存在が必要となるのです。
それは、「支えてくれる人たちの存在」であることが理想です。まず、少しずつ信頼関係を築いていきます。そして、本人がごみを手放しても大丈夫と思えるようになったところで、一緒にごみを片付けていきます。自分で納得し、自分の手でごみを手放していければ、「あって当然のもの」をなくすダメージは少なくなります。そのためには、時間をかけた支援が必要なのです。必要なときにはいつでも助けてくれる人たちがいると思えれば、たとえ一時的に「裸になったような気持ち」になったとしても、不安が募ることはないでしょう。
ごみ屋敷への対応は難しく、時間がかかります。しかし、「ごみ」に見えるものを、そこまでため込まずにはいられなかった本人も苦しかったはずです。その苦しさを理解するよう努めることから、支援が始まるのかもしれません。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*ごみ屋敷 格闘1年余り 認知症の独居女性、施設へ (毎日新聞 2016年10月23日)