◆訪問介護事業(ヘルパー→サービス提供責任者)→グループホーム・居宅介護支援事業所(介護職→ケアマネジャー)→グループホーム(管理者)→専門学校(講師)
T・Sさん(女性・55歳)
●訪問介護事業所(勤務期間:6年/年収270万円)
●グループホーム・居宅介護支援事業所(勤務期間:6年/年収360万円/ケアマネジャー手当あり)
●グループホーム(勤務期間:2年/年収460万円/管理者手当あり)
●専門学校(勤務期間:2年10カ月/年収360万円)
介護業界以外でのその他経験:日本語教師
保有資格:ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)、介護福祉士、介護支援相談員
家族構成:夫、長女、次女
*T・Sさんの「転職 成功・失敗 体験談」…
1回目、2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
【1回目の転職】訪問介護→医療法人のグループホームへ
認知症ケアの理想を形にした施設との出会い
転職サイトで探したグループホームは、私にとって、最高の学びの場でした。
15年ほども前の現場でしたが、今考えても、すばらしいケアをしていたと思います。
立ち上げたのは医療法人で、病院の看護師長さんが「認知症の方の本当の意味での自立支援の場を作りたい」と意欲に燃えて形にした、ということでした。
「地域でのケア」を実践すべく、商店街の中にグループホームを構え、利用者さんは一歩ホームを出れば、地域の人たちに支えられるような環境でした。
近隣に住むのは、下町の人情の厚い人たちばかり。
商店街で目にしたものを手に取り、買い物ができるというのも、認知症ケアにとってよい環境です。
ワンユニット、9名の利用者さんだけをみる、という余裕のある経営。
建物は木造で、いわゆる型通りの「介護施設」という雰囲気はなく、まさに、「共同生活の家」を実践していました。
意欲的な看護師長さんが管理者となり、オープニングメンバーである私たちを支えてくれました。
認知症のケアを実践から学ぶ
当時は、認知症についての情報や学びの場はまだまだ少ない時期。
グループホームで、私たちは実践で本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。
認知症の方を特別視しないこと。ケア次第で、利用者さんたちの暮らしはとてもスムーズになること。
逆に、ケアがよくなければ、利用者さんとのコミュニケーションも悪化し、それが結果的にADL(日常生活動作)の悪化につながるということ。
今ではあたりまえのように思えることを、グループホームの黎明期ともいえる時期にリアルに体験できたことは、私の人生の宝だと思っています。
転職したときケアマネジャーの資格は持っていたものの、ケアプランを作った経験はなかったので、「現場の介護職のひとりとして勤務させてほしい」とお願いしていました。
しかし、人手不足で、ほかにケアプランを作れる人員もいなかったので、利用者さんのケアプランの作成も私が担当していました。
グループホームで、現場の勤務もしながら、ケアをする利用者さんのケアプランを作った、という経験をしたことも、私には大きなプラスになりました。
【グループホームでの経験】認知症ケアだけでなくケアマネ業務も学ぶ
グループホームでの人間関係も、本当にすばらしかった。
利用者さん、そしてご家族とも密な関係を築き、それぞれの方の性格、病状、好みなどをしっかりと把握した上で、ふさわしい対応を考えていきました。
現場の介護職の質も高く、そうした理想を形にできる集団でした。
子どもたちが中学生になり、まだ母も元気でしたので、夜勤も担当していました。
体力的にきつい部分もありましたが、これもまた、利用者さんの素顔を見られるよい体験だったと思います。
人はみな、昼間の元気なときと、夜中や朝方とでは違う傾向を見せます。24時間の様子を拝見してこそ、その方の本当のケアができるのだということも実感しました。
グループホームで3年間、認知症ケアの現場を経験した後は、同じ医療法人が運営する居宅介護支援事業所で3年間、ケアマネジャーとして勤務しました。
居心地がよく、成長もできるこの法人で、もっと長く働いてもよかったな、とあとから思ったこともありました。
【2回目の転職のきっかけ】新しいグループホームからヘッドハンティング!
高級住宅地に新たにオープンするグループホームの管理者に
働きやすい環境のグループホームで認知症ケアについて学んでいた私に、ある日、転機が訪れました。
以前の職場の知り合いからの紹介で、「新しくできるグループホームの管理者として働いてくれないか」という依頼が来たのです。ヘッドハンティングのようなものでした。
場所はこれまでとは違う、高級住宅地。東京での暮らしが長い私ですが、なじみのない土地でもありました。
家からは通勤に1時間近くかかります。これまでは自転車でも通勤できるような近場で働いていましたから、管理者になること以外にも、さまざまな負担がかかることは、目に見えていました。
転職で年収はなんとプラス100万円に
これは大変だ、管理者の仕事なんて自分の手に余るかもしれない、と思いました。
けれど、お金に目がくらんだのですね(笑)。
「Tさん、今お給料はいくらもらっているの?それだけで満足ですか?いくらだったら転職したいと思います?」と、矢継ぎ早に聞かれ、つい、「そうですね、今より100万円高くなるなら」と言ってみたのです。
すると、「いいですよ、うちに来てくれるなら」というお話をいただきました。
以前の年収だって、悪くありませんでした。ケアマネジャーになってからは、手当をもらっていましたし、十分に配慮していただいていました。
しかし、当時、娘2人が私立の高校に行っていて、大学受験もする頃でした。
夫は自営業。収入のいい月もあれば、そうでない月もあります。
私立大学を目指している娘たちの大学の学費が高く、家計を圧迫することも、目に見えていました。
夫の収入で毎日の生活費や住宅ローンの支払いをし、私の収入の中から、娘2人の大学受験の費用や学費を支払いたい。それには、給料は高ければ高いほどいい、と考えたのです。
医療法人の上層部に正直に相談したが、給料の差は埋まらず……
思いがけない高額の収入が得られることがわかり、私の気持ちは動きました。
とはいえ、私を育ててくれた医療法人を、ただ「辞めます」と言って去るわけにはいかない。ましてや、居心地がよく、ずっと勤めたいと思っていた法人です。
私は上層部に正直に話をしました。
組織には何の不満もない、お金の面だけなのだ、と。
すると、その場で計算機を出して、なんとか私のためにと、給料アップの計算をしてくれました。
しかし、「これでいっぱいいっぱい」と提示してくれた年収は、転職を打診してくれたグループホームの年収より20万円低い金額。
20万円なら踏みとどまればよかったのです。こんなに私のことを考えてくれる法人は、なかなかないのですから。
でも、当時の私はバカでしたね、20万円のために、転職を決めました。
ほとんど土下座状態で「すみません、しっかり学んで、どんな形になっても恩返しはします」とお答えしました。
こんな私に対して医療法人の上司は、「残念だ、でもしょうがないね、教育には本当にお金がかかるよね。たっぷりいい経験をして、そしていつかうちに戻ってきてよ」と。あたたかい言葉をかけてくれ、感謝の気持ちでいっぱいでした。
【転職で気付いた失敗】介護現場で働くのに大切なのは、お金ではない!
年収アップが目当てだったグループホームへの転職は、本当に失敗でした。
私は転職の条件をはき違えていたのだと、今では思います。
当時の私の転職の条件は、「成長できる環境」「新しい仕事」「前よりよい給料」でした。
たしかに、グループホームの管理者の仕事はこの3つの条件はクリアしていましたが、新しい仕事を与えられ、いい給料を与えられたら仕事はきついに決まっています。
それに気付いていませんでした。
それに、お金はたくさん必要な時期だったけれど、その20万円に価値があったかというと、そうではありませんでした。
介護職として働くうえで大事なことは、「成長できる環境」はもちろん必要ですが、「いい仲間」「職員全員が育ち合える企業風土」だと、あとから思いました。
転職するときにそれに気付かなかった私は、転職先のグループホームで、仕事人生の中でいちばんつらい経験をしました。
次回は、3番目の転職先での仕事内容や苦労、そして次のステップについても語っていただきます。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*T・Sさんの「転職 成功・失敗 体験談」…
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