介護業界でがんばる人たちの転職体験をお届けするこのコーナー。
新卒で介護業界に入り2回の転職を経て、訪問介護事業所で管理者として働くT・Eさんの体験談を、全4回の連載で掲載します。
第2回では、理想を求めて転職したTさんの葛藤をお伝えします。
*T・Eさんの「転職 成功・失敗 体験談」…1回目(前回)はこちら
◆グループホーム(介護職)→有料老人ホーム(介護職)→訪問介護事業所(管理者)
T・Eさん(男性・33歳)
●グループホーム(勤務期間:10カ月/月給約18万円+夜勤手当+ボーナス約1カ月分)
●有料老人ホーム(勤務期間:3年6カ月/月給約20万円+夜勤手当+ボーナス約1カ月分)
●訪問介護事業所(勤務期間:4年/月給約23万円(管理者手当あり)+ボーナス約1カ月分)
保有資格:社会福祉士、介護福祉士
家族構成:一人暮らし
【1回目の転職】「納得できる介護がしたい」思いが爆発
今のまま施設長になるか?転職して理想を叶えるか?
大学を卒業して、中堅どころのグループホームに就職したものの、「よい介護」ができていないと感じ、悩んできました。
正職員として就職して、3年で施設長になるキャリアパスもできていて、将来を嘱望されていましたし、自分としても早く昇進したいと思っていました。
けれど、『良い介護』について意識が高くない施設で昇進するよりも、現場で充実したケアを提供する方が、自分にとっての理想に近いのだということに、徐々に気づいていったのです。
今の施設で3年頑張って施設長になることが、自分にとって意味があるのか。
また、考え方が合わない法人の現場で働くことに、現場の介護職として納得できるのか。
何度問いかけてもイエスの答えが出てこない中、尊敬する介護職の方が働いている有料老人ホームで介護職を探していると聞き、「うちで働いてみないか」と言われたら、ぐらっとするどころか、一気に悩みを飛び越えた感覚を持ちました。
その施設の施設長には、研修のときに会ってお話したこともありました。
そんな安心感もあってか、「僕でよければ、ぜひお願いします」と答えていました。
尊敬する人に誘われて、転職を決意!東京を離れることに
誘われた施設は、北関東の主要駅からも離れた海沿いの町にありました。
東京で生まれ育ち、中学も高校も大学も都心にあったので、周囲からは「そんな田舎の町に行って、大丈夫なの?」と心配されました。
けれど、自分の中では、そんなことは小さな問題でした。
やりたい介護が実践できる場があるということが、人生の目的にもなっていました。
今になって思い返しても、3年以上勤務していた中で、地方で働くことはまったく問題ではなかったですし、今でもそこは自分の故郷のような気がしています。
新卒で入ったグループホームを辞めると言ったときには、法人のほうも覚悟はついていたようでした。
僕が現場のやり方になじめず、少し投げやりだったことも、感じていたようです。
入社した翌年の1月には退職し、2月にはすぐに新しい会社に入職しました。
【転職先は?】利用者さんも介護職も笑顔になれる老人ホーム!
そこは、笑いに満ちた有料老人ホームでした。
とにかく楽しい環境を作ろうというのが施設のコンセプトで、利用者さんも介護職も楽しめるような工夫をしながら、笑顔が絶えない場作りをしていました。
介護技術についても、利用者さんを尊重したやり方で、ひとりの利用者さんを徹底的に観察して知り、その人らしい生き方をそのままサポートする。
そんな介護理念のケアを学べる場にいられることがうれしくて、夜遅くまでの研修やミーティングなども、まったく苦になりませんでした。
それまではグループホームで働いていましたが、転職先は小規模な有料老人ホーム。
とにかく、利用者さんがいる間は全力投球で楽しんでいただくのがポリシーで、テレビをつけて利用者さんにただ見せておく、なんてことはありえないのです。
利用者さんの好きな歌を、歌詞カードを配って一緒に歌ったり、体操を考えてやったり。
回想法を取り入れておしゃべりをし、コミュニケーションを取ると共に、脳の活性化にも期待をするなど、とにかく自分たちでさまざまな工夫をして、利用者さんを楽しませ、充実した毎日を過ごせるように努めていました。
以前の職場では、「人手不足なんだからしょうがない」とばかりに、ずっと利用者さんを放っておいている事が多く見られていました。
介護度が高い方が多く、楽しい活動ができないのは仕方ないと思いつつ、かと言って施設のやり方を変えられるわけでもなくルーティンワークをこなすのに必死だった自分。
改めて、当時の自分の介護の未熟さにも反省しました。
そして、ここでの経験は、以後の仕事にも大いに役立ちました。
夢中で過ごし、介護福祉士の資格も取得して、介護職としてのやりがいを感じ続けた日々。
仕事には不満がなく、同じようなマインドを持った仲間も得て、介護職として最高の時代だったように思います。
【仕事を辞めたい】きっかけは、離れて暮らす家族
転職して2年たった頃に父方の祖母を亡くし、翌年、母方の祖父を亡くしました。
それが、自分の中では大きかった。
祖母にも祖父にも小さな頃からかわいがってもらっていたので、具合が悪くなったと聞き、愕然としました。
職場は、危篤状態になったときには、きちんとお休みをくれました。
祖母のときは、あわてて東京に戻り、息を引き取った後でしたがきちんとお別れをする事ができました。
祖父の場合は東京から職場に戻ったあと、3日で突然亡くなりました。
職場に戻る直前、戻るねという僕に、大きく「うん」とうなずいてくれ、自分のことを肯定してくれて「今の生き方でいいよ」と言ってもらえたような気がしました……。。
毎日高齢者の方と接し、具合が悪くなる方なども見てきましたが、肉親を亡くすのは初めてで、自分でもコントロールできないくらい落ち込みました。
人に話を聞いてもらい、少しは癒やされましたが、家族と遠く離れて仕事をすると、こういうこともあるのだ、という悲しさや焦燥感、そして自分の家族を大事にしていなかったのでは、という後悔……。
そんな中で、家族のそばにいて恩返しをしなければ、という思いがどんどん大きくなっていきました。
仕事にはまったく不満はありませんでした。
けれど、「東京に帰ろう」という思いは強くなっていきました。
職場に話すと、「気持ちはわかる」と言ってくれたものの、「まだ何も成し遂げていないじゃないか」と言われました。
そのときはまだ、いち介護職でしたが、施設長は僕をそろそろフロアーのリーダー職に、と思ってくれていたようでした。
もう少しここで、介護職のプロになるために、そう励ましてくれたのも、本当にありがたかった。
けれど、思いのほか自分の気持ちは実家のある東京に向かっていて、その流れを止めることができませんでした。
【転職を決意】『もう一度、介護の仕事を極めていこう』
そんないきさつだったので、次の職場を決めてから仕事を辞めることはできず、ただ荷物をまとめ、実家のある東京に戻りました。
これから自分はどこで働けばいいのか。
そんなことを考えているうちに、ある介護事業所のことが思い浮かんだのです。
東京を離れていた3年間も、僕はさまざまな外部研修を受けに、首都圏に何度も戻ってきていました。
やはり、受けたいと思う研修は、首都圏で行われることが多かったのです。
夜行バスなどを使って、月に1度くらいは休日を使って東京に帰り、研修を受けてまた職場に戻る、というようなことをしていました。
そんな中で、やはりすばらしいケアをしている事業所の社長と知り合ったのです。
祖父母の死の悲しみを紛らわそうと、知人が参加している介護職の集まりに参加した時に、その事業所の社長と偶然再会。
『また、介護という仕事を極めていこう。』
そんな意欲がわいてきて、ほどなく再就職を決めました。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
次回は、初めての訪問介護で管理者として活躍するTさんの様子を紹介します。
次回「訪問介護は、利用者さんの生活を支えるパートナー!~転職体験Tさん3」は、4月1日に公開予定です。
*T・Eさんの「転職 成功・失敗 体験談」…
1回目(前回)はこちら
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