認知症を持つ人と、ともに新しい時代へ
2017年4月27日、第32回国際アルツハイマー病協会(ADI)国際会議の開会式が、京都市の国立京都国際会館で行われました。日本でADI国際会議が開催されるのは、2004年に続いて2回目のことです。
前回の開催のときには、57歳の認知症を持つ男性が、自分の思いを語ったことが大きな話題を呼びました。当時は、まだ認知症ではなく「痴呆」という言葉が使われていました。
「痴呆」になると、何もわからなくなる、と思われていた時代です。自分が「痴呆」だと明かす人はほとんどなく、勇気のいる行動だったことと思います。
今回のテーマは「認知症:ともに新しい時代へ」。今では、認知症を持つ人たちがどんどん発言するようになり、何を考え、感じながら暮らしているかが少しずつ知られるようになってきています。
今回は、仙台在住の若年性認知症を持つ男性が、当事者代表としてスピーチをしました。認知症を持つ人が語ることで、新しい時代が開かれています。
開催地は認知症ケア先進地、京都
2回のADI国際会議が開催された京都は、認知症ケアの先進地です。国が認知症に関する施策を「オレンジプラン(認知症施策推進5カ年計画)」という形にまとめて発表したのは、2012年9月のこと。
それより早い、2012年2月に、京都では、医療職や介護職、介護者、認知症を持つ人など、約1000人が集まって「京都式認知症ケアを考えるつどい」を開催。
認知症を持つ人たちから見た地域包括ケアを作っていこうという宣言とも言える、「京都文書」を採択しました。
「京都文書」では、まず認知症の疾病観を変えようという意見が冒頭に述べられています。
前述の通り、今でこそ認知症を持つ人たちの積極的な発言で、一般の人も認知症について様々なことを知ることができるようになりました。
しかし当時、認知症の疾病観は、すでに多くを失ってしまった終末期のイメージしかありませんでした。そのため、医療もケアもとても貧困だったのです。
「京都文書」は、そうではなく、認知症を持つ人ともっと早く出会うことで、初期から関わり、そのとき必要なケアや医療をタイムリーに提供していけるようにする必要性を訴えました。
そのために、どうすれば、認知症を持つ人と早く出会えるか。早く関わり、早く支援体制を築けるか。それが大切だとも指摘しました。
ここですでに「地域包括支援センターは支援を拒否する困難事例への訪問相談を担えるように」という提案がなされています。今、各市町村でスタートしている「認知症初期集中支援チーム」です。
認知症とは、「大変な人」がいるのではなく「大変な時期」があるだけ
この「京都文書」の中でも、特に印象的なのは、「大変な人がいるのではなく大変な時期があるだけに過ぎない」という言葉です。認知症で、対応の難しい行動がある人は、「大変な人」と言われがちです。
しかし、実際には、その人が大変なのではなく、何かの理由で「いっとき、大変になっている」だけ。そしてその「大変なとき」は、周囲が思っているよりずっと短いというのです。
つまり、「大変なとき」をやり過ごせば、またもとの暮らしの場に戻れるということです。
介護職は、「大変な人」だといって医療にその人を渡しきりにしてしまうのではなく、暮らしの場に「取り戻す」文化を持つことだ、とも指摘しています。
こうして見ると、「京都文書」の先進性には目を見張るものがあります。果たして、ここで提言されていることが、他の地域では今、どれぐらい実効性を持って実現されているでしょうか。
「認知症:ともに新しい時代へ」というADI国際会議のテーマの通り、私たち自身で、認知症とともに生きる新しい時代をつくっていかなくてはなりません。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*認知症、本人意思の重視を 京都でADI国際会議開会(京都新聞 2017年04月27日)