「死にたい」という思いを介護職ならどう受け止めるか
公立福生病院の外科医が、腎臓病を持つ女性の人工透析治療を、本人の意思に基づいて中止し、その女性が死亡していたことが、2019年3月、毎日新聞の報道で明らかになりました。2018年8月の出来事です。
人工透析治療は中止すれば死に直結します。「人工透析を中止したい」という意思表明は、自殺を選択する意思表明とも言えます。亡くなった女性は40代でしたが、透析治療を続ける中で、「死にたい」と口にすることもあったそうです。
高齢者の中にも、「長く生きすぎた」「何のために生きているかわからない」「もう死にたい」という言葉を口にする人がいます。そんな言葉を受け止めることが多い介護職の方は、この出来事をどう感じたでしょうか。
新聞報道によれば、女性は、人工透析治療のために必要なシャント(外科手術で腕などに造設する血液回路)が使えなくなり、かかりつけ医の紹介で公立福生病院を受診。外科医から、カテーテルを使用した透析治療の継続か、透析治療の中止かという2つの選択肢を示されました。
外科医は、透析治療を中止すれば2週間ほどで死に至ると説明。女性はその説明を聞いた上で、中止する意思確認書に署名しました。
この女性は、1999年に抑うつ性神経症(現在の病名では気分変調症)の診断を受け、自殺未遂が3回あったそう。その後の報道によれば、透析治療を中止した外科医は、この病歴を知らなかったとのことでした。
また、女性に透析治療の継続か中止かの判断を迫る際、人工透析とは異なる「腹膜透析」という、より生活の自由度の高い治療法は提示していなかったことも明らかになりました。
今回の透析治療の中止は、日本透析医学会が定めた透析治療中止のガイドラインから逸脱していました。そもそも透析治療の中止を検討する必要がある状態の患者ではなかったこと、中止の決定をするプロセスに問題があったことなどから、外科医の透析治療中止の判断は適切だったとは言えない点があることが指摘されています。
介護職の存在が、「生きること」の支えに
人工透析が必要な腎臓病を持つ人に限らず、治癒が難しく、一生付き合っていかなくてはならない病気を抱えた人は、精神状態が不安定になりがちです。どのような治療を選択するかの決定のためには、それぞれの治療を受けることによるメリットとデメリットを、そうした精神状態も踏まえた上で丁寧に説明することが、医療職には求められています。
今回の出来事では、透析治療の中止を選択したときの女性の精神状態について、どれほど配慮されていたのか疑問が残ります。
また、たとえ適切な配慮を受けて自分が望む治療を選択したとしても、人の気持ちは揺れ動くものです。治療の苦しさや、病気を持つ自分の行く末と向き合ったとき、弱音を吐いたり、悪態をついたり、時には「死にたい」と口にすることもあるでしょう。
病気を持つその人が要介護者であれば、介護職の方がその生活を支えていくことになります。「死にたい」と訴える場面に遭遇することもあるでしょう。
しかしそこで、介護職の方が「死ぬという選択肢もありますよ」という提案をすることは想像できません。生活を支える介護職は、要介護者が天寿を全うするまで命を長らえることに注力しているからです。
人は、他者との関係の中で生きているもの。絶対的な孤独を感じたとき、人は生への執着を失います。
「死にたい」という思いを抱く高齢者にとって、共にそばにいて懸命に生活を支えてくれる介護職の存在は、この世に留まる“よすが(手がかり、よりどころ)”となっているはずです。
医療職とは異なる、介護職の力の一つは、そこにもあると思います。
<文:介護福祉ライター/社会福祉士・公認心理師・臨床心理士 宮下公美子>
*医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院(毎日新聞 2019年3月7日)