終末期の苦痛から逃れるために「飲食拒否」を選択する人たち
高齢化の進展により、施設や在宅での看取りが少しずつ増えています。
終末期にある人への対応として、かつては点滴や経管栄養による一定量の水分、栄養分の補給が、病院でも介護施設でも当たり前のように行われていました。
しかし、すでに身体が水分を受け付けなくなっている人に点滴を施せば、腎機能の低下によって水分が排出できなくなるために、身体がどんどん膨らんでいきます。
そうした処置を続けることは、本人にむしろ苦痛を与えているのではないか。そんな議論が起き、口からの摂取が難しくなった人への点滴や栄養補給は徐々に行われなくなってきています。
高齢となり、人生を終えていく時期にある人には、その人の身体が受け付けるだけの水分と栄養分の補給で良い。そうした考えが広まってきているのは、それが終末期を迎えた人の「アドボカシー(権利擁護)」に配慮した対応だからです。
一方、終末期にある人の中には、まだ食べられるのに自分の意志で飲食を拒否し、死を早めようとする人もいます。このような行為に至る背景には、苦痛から早く逃れたいという思いがあるようです。
自分の意思で飲食を拒否するこの行為は、VSED(Voluntarily Stopping Eating and Drinking)と呼ばれています。終末期医療に関わる医師の約3割が、実際にこのVSEDの患者を診たことがあるという調査結果が明らかになりました(*)。
終末期にある人の「死ぬ権利」をどう考えていくべきか
記事にはどういう状態の人が自らの意思で飲食を拒否しているのか、詳しくは書かれていませんが、苦痛から逃れたい、という理由を考えると、ガン末期の方などが想定されます。
ガンを患う方の中には、疼痛コントロールがどうしてもうまくいかず、激しい痛みに苦しむ方もいると聞きます。
そうした方の「早く人生を終えたい」という思いを、介護職や医療職はどう受け止めていけば良いのでしょうか。
「アドボカシー(権利擁護)」という面を考慮すれば、本人の選択を尊重するという対応が考えられるでしょう。
しかし一方で、まだ続くはずの命を自ら縮める行為を、介護や医療によって支援する側が見過ごしていいのか。それは、倫理的に問題はないのか、という疑問も生じます。
日本では安楽死、尊厳死は認められていません。
ガン末期など、回復の見込みのない患者の人工呼吸器を、家族の同意の下ではずしたことが問題になった事件がありました。いわば“安楽死”を行った医師が殺人容疑で書類送検され、不起訴処分になった2006年の「富山県射水市民病院事件」です。
この事件のあとの2007年5月に、厚生労働省は「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」を作成しました。
しかしそこでは、終末期ケアや終末期医療の方針を決定するプロセスで必要とされることが示されているだけで、延命中止の是非やその決定要件については触れられていません。
一方で、「尊厳死」の立法化については、超党派の国会議員の団体によって議論が行われてきました。すでに、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」も作成され、2012年に公表されています。
しかし、尊厳死の法制化には反対する声も多く、未だこの法案は国会には提出されていません。
超高齢社会となった日本で、VSED(自分の意思で飲食を拒否する行為)も含めた終末期にある人の「死ぬ権利」についてどう考えていくべきか。
終末期にある人たちを支える立場にある介護職も、意見を示していく必要があるのかもしれません。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*終末期「飲食拒否」3割 専門医に診察経験調査(日本経済新聞 2018年1月30日)