本サイトの連載マンガでおなじみの國廣幸亜さんをインタビューする「情熱かいごびと」。
2回目の今回は、介護の世界に足を踏み入れた國廣さんのお話をうかがいます。訪問介護先でのエピソードは、國廣さんならではのあたたかさとやさしさに満ちています。
○●○ プロフィール ○●○
國廣幸亜(くにひろ・ゆきえ)さん1976年5月9日大分県生まれ、愛知県育ち。小学生の頃に漫画家を目指し、高校卒業後、上京。会社員をしながら投稿し続けるも夢に近づけず、挫折しかけた頃ホームヘルパーの資格を取得し、介護の仕事を始める。
1998年、講談社BE・LOVE誌上にて『ささら』でデビュー。以後も介護の現場で介護福祉士として活動し、現在は介護のテーマを中心に漫画を執筆。著書に『介護のオシゴト』(秋田書店刊 1〜4巻)、『マンガでわかる介護リーダーのしごと』(中央法規刊)などがある。
國廣幸亜(くにひろ・ゆきえ)さん公式ホームページ
*掲載内容は取材時(2014年)の情報となります。
『デイサービスで働いていた頃。28歳くらいでした。』
――印刷会社に勤めている間にヘルパーの資格をとり、介護の仕事を始めたのは、だいぶあとですよね。
はい、資格を取ってから3年ぐらいあとでしたね、介護の仕事を始めたのは。資格を取った当時は、印刷会社でデジタル化が始まり、オペレーターとしての業務も少し新鮮に思えたというのもありましたし。もう少しがんばってみようという気持ちでした。
ただ、漫画の投稿が編集者の方の目に止まってデビューできて、身辺がどんどん変わっていきました。印刷のデジタル化にもすっかり慣れ、「もうやめてもいいかな」と思えたので、思い切ってやめて、訪問介護の仕事に就いたんです。2001年だったと思います。
――なぜ訪問介護だったんですか?
ヘルパーの実習のときに、施設やその他、さまざまなところにうかがったんです。
今だったらまた別の考えなのですが、当時はまだ介護のことがよくわかっていなくて、老人ホームなどの施設では、利用者さんの個性と接しにくいかな、と思ってしまったんですね。
デイサービスも、当時の自分にはイベントなどを仕切る裁量がなさそうな気がして、難しいなと思ってしまって。
訪問介護は、利用者さんの家にうかがうので、その方の個性が一番わかりやすいですし、お役に立てる実感があるかな、と思ったんです。
それに、当時は漫画のほうもそこそこ忙しくて、時間がある程度自由になる訪問介護は、自分にとってありがたかったんだと思いますね。
けれど、私、あまり調べないで物事に突っ込んでいってしまうタイプで(笑)。練馬に住んでいたのに、渋谷のヘルパーステーションで仕事を始めてしまったんです。通勤に時間はかかるし、交通費は自己負担。賢い方はご自分の家のそばで仕事をして、お昼休みは自宅にもどって食事をしたりするんですよね。それだとお金があまりかからないでしょう? でも、私は交通費かけて、お昼や途中の休憩時間はレストランや喫茶店で時間をつぶして。漫画で稼いだお金がどんどん消えて行きました。貧しかったですねぇ(笑)。
けれど、漫画もやりたいことだったし、介護の仕事もやりたいことだったので、そんなに苦にならず、毎日、楽しくやっていました。平日は2、3件訪問していましたし、今は20分なんていう訪問もありますが、当時は長めの時間設定でしたので、やっていけたのかもしれませんね。身体介護より、生活援助中心でした。
――では、家事なども得意だったのですか?
いえ、それが
「家事がダメなヘルパー」でした。冷凍ギョーザを焦がしたりするんですから(笑)。利用者さんに焦がしたところをはがして食べていただいたこともありました(汗)。利用者さんはきちんと家事をされてきた方が多いので、よく怒られましたよ。「洗濯物の干し方もダメ、たたみ方もダメ!」って。ちょっと怖い方もいたんですよ、厳しくて。
けれど、怒られてもしょうがないぐらい家事能力、低かったんです。それに、その方がご近所やご家族の方にはとても気を遣っていらっしゃるのを見てしまって。もしかしたら、できない私が来ることで、言いたいことが言えて、ストレス解消になっているんじゃないかなと。
本当なら、「ほかの人に替えてほしい」とクレームを言われちゃうかな、と思っていたのに、いつまでも私でいいとおっしゃってくださるのは、もしかしたら……と。
以来、怒られても、そんなにイヤだと思わなくなって。なんかずうずうしいですけれど、「怒っていいですよ」みたいに心の中で語りかけながら、通っていました。
――利用者さんにとっては、國廣さんみたいにやわらかく受け止めてくれる人が来てくれるのは、とてもうれしかったのではないでしょうか。
『初めての施設勤務で利用者さんに暖かく見守ってもらいながら働いてる感じでした』
私が所属しているステーションは当時、「この利用者さんにはこのヘルパー」と、なかば担当制みたいにしてくれていたんですね。だから、利用者さんにとっては、安心だったかもしれません。私のほうも、同じ方とずっと接することができて、その方の個性や生活習慣などもよくわかって、ありがたかったです。
気心が知れてくると、「お墓参りに行きたいの、いっしょに行ってくれない?」とか、「カラオケにいっしょに行きましょうよ!」などと言ってくださって。ステーションを通して、私を指名して外出介助を頼まれることもありました。そんな日はゆっくり利用者さんとお話ができて、本当に楽しかったですよ。
体験を重ねるごとに、介護の仕事の深さを感じることができて、私はどんどんこの仕事にのめり込んでいきました。いろんな経験がしたくて、1年後にはデイサービスに勤め、その後は介護老人保健施設の正職員になり、夜勤もこなしました。
――その頃は漫画のほうも忙しかったのではないですか?
そうですね、老健に勤めていた頃は、漫画の連載が月に50~60ページぐらいあって。1つ下の弟がやはり上京していたので、暇なときにアシスタントとして手伝ってもらいながら、寝ないでこなしていました。夜勤のときは、夜間の休憩時間に描いたこともありました。締切までに間に合わせないといけませんからね。
それなのに、一生懸命に描いた手描きの作品を、電車の網棚に乗せたまま帰ってしまい、結局みつからなくて(笑)。弟に「何やってるんだ!」と怒られながら、描き直した覚えがあります。
それでも落ち込むこともなく、ひたすら描いていました。20代で若かったですしね、パワーがみなぎっていたんでしょうね、「やるぞ!」みたいな。
介護の仕事ももっと深くしたい、漫画もどんどん描きたい。当時の私は本当に元気でした。
次回はいよいよ、介護の世界と漫画との融合について語っていただきます。
*介護求人マガジンで連載中 國廣幸亜さんの作品はこちらをチェック
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