「介護を受けて生活している人に心地よく楽しめる音楽の場を提供する」を理念に、各地の老人ホームなどで、高齢者に癒しや希望を与えている株式会社リリムジカ。管さんは、その代表として日々、頭と体をフル回転させています。「介護の世界をよく知らずに」と、手探りの状態から始め、壁に突き当たりつつも、事業は少しずつ好転。「プログラム参加者の心に響く音楽を」と、介護と音楽との最良の融合を目指しています。現場に行くたびに感動して帰って来る管さんの、情熱あふれる若き経営者の姿を、4回に分けてお送りします!
○●○ プロフィール ○●○
管偉辰(かん・いたつ)さん/株式会社リリムジカ 代表取締役 共同代表
1986年、東京都生まれ。台湾人の両親のもとに生まれ、日本人として生活する。一橋大学商学部在学中から起業家を志す。2008年、創業時代表の柴田萌さんと共に株式会社リリムジカを設立。2011年に柴田さんと交代して代表取締役に就任。プログラムを実施する介護施設の開拓やミュージックファシリテーターの後方支援に尽力。
株式会社リリムジカ
起業家のルーツは?
高校時代の文化祭で仮装。チャレンジ精神は当時から!?(笑)
――管さんは就活をほとんどせず、大学卒業後は起業されたんですよね。同級生は大手の企業を目指したのではないですか?
そうですね。会社員になる人が多かったと思います。でも、大学2年のとき、就職した先輩がふと、「大手企業に入ったって、おもしろくないよ」とつぶやいたのを聞きました。入社したてでぼやきたかっただけなのかもしれませんが、「そうなのか、大企業に入ってもつまらないのか」と思って。それならば自分で事業を興すのはどうかと考え、大学2年の冬から起業家を目指す学生向けのインターンシップに参加しました。ネット上の店舗の売上を伸ばすプロジェクトです。1年3カ月の期間中に、担当店舗の月商を100万円から300万円にしました。自分でもなんとかなるかも、という気持ちになりました。
会社員にならなかったのは、父の影響もあると思います。父は台湾の生まれで、東京で台湾人観光客向けの免税店を開業したり、中華料理店を経営したりしていました。なので、私の中で起業はごく自然なことでした。
契約がとれない日々が続いて…
設立した2008年、事務所をかまえてお祝い。ビジネス・パートナーの柴田さんと。
――ビジネス・パートナーの柴田萌さんとの出会いはどのような感じでしたか?
互いに大学4年生のときです。事業計画書の書き方を学ぶ講座で知り合いました。柴田は音大生で、音楽療法を学んでいました。しかし、これだけ音楽療法が社会的にクローズアップされているのに、1学年上の先輩たちを見回してみても、仕事として音楽療法を仕事にしている人が40人中1人しかいない。音楽療法士として入社できる企業もない。柴田は「音楽療法をどうにか社会に活かせないか」と考えて、講座に参加していました。
私は信じた道を追求していく柴田の姿勢に感銘を受けました。柴田と起業したら、きっと社会が変わる、という予感がありました。そして、2008年、株式会社リリムジカを立ち上げました。
――当初から事業は好調だったのですか?
当初は障害のある方を対象に事業を行おうと思っていましたが、なかなか思うように進みませんでした。会社の売り上げも、ほぼ柴田の個人的な音楽の仕事で持っているようなもので、自分自身をふがいなく思いました。
――転機はどこにありましたか?
どのように事業を進めようか悩んだ末、「とにかくいろいろな方に話を聞こう」と思ってヒアリングを始めてからです。福祉関係の方を紹介してもらって、次々にお話を聞きました。特別支援学校の先生、障害のある子どものお母さん、老人ホームの職員、施設長の方など。たくさんの方に伺ううちに、介護の現状が見えてきました。その中で、障害の有無や年齢を超えて楽しめる音楽の力が現場の役に立つのではないかという意欲が沸いてきました。
次回は「音楽を介護現場にどう生かすのか」についてお伝えします。
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