「信念もなく、いつの間にか介護職になっていました」と語るAさん。しかし、自然体で仕事に取り組む姿勢があるからこそ、仕事を長く続け、ヘルパーからサービス提供責任者、そして部長へとキャリアアップしていったのではないでしょうか。肩の力を抜きながら、やるときはやる。そんなAさんの仕事に対する姿勢は、きっと大いに参考になるでしょう。
*A・Wさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
A・Wさん(42歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…12 年
●介護の仕事に就く前…フリーター、接骨院助手、ミュージックバー経営
●転職回数…4回
●いままでの勤務先…訪問介護ステーション、デイサービス
●現在の勤務先…訪問介護ステーション
●保有資格…介護福祉士、介護支援専門員、ケアマネジャー
「天職」を見つけたくていくつかの職を経験
短大のときの就活は楽勝でした。バブルははじけていましたが、まだ名残があって、とても簡単に貿易会社から内定をもらいました。その後も、内定者にブランドもののスカーフのプレゼントがあったり、おいしいレストランでごちそうしてもらったり。いい思いをさせてもらったんです。でも、いざ就職間際になったら、「何か違う、私はOLになりたいわけじゃない」と思ってしまって。そんなによくしていただいたのに、内定を取り消してしまいました。ひどいですよね(笑)。
その後、「やりたいのは、彫金!」と思い、ジュエリーデザイナーを目指して、スクールに通いました。OLとして雇われるのではなくて、自分の感性で仕事をしたいと思ったんですね。バイトをしながら学費を払い、2年間学びました。けれど、「なんだかこれも違う」と思ってしまいました。理由はわからないけれど、「これは一生の仕事ではない」と…。当時は自分探しばかりしていました。そんなことをしているうちに、夫と知り合って結婚。夫は会社員で生活に不自由はありませんでしたが、子どももいないし、時間はあるしで、家の近くでラクに働けるところはないかと探していたら、接骨院の助手、という求人を見つけました。「家から近い、給料も悪くない」という条件だけで勤め始めました。
この仕事は5年も続けたんです。先生との相性もよかったのでしょうね。楽しいというほどではなかったけれど、辞めたいと思うことはありませんでした。そして、今思えば、この仕事が、後に介護の仕事にたどりつくきっかけになったのだと思います。接骨院に来るのは、高齢の方ばかり。お客さんとお話したり、痛いところを聞いたりする中で、お年寄りに抵抗がなくなったのですね。
といっても、整骨院の仕事が天職というわけではありませんでした。私と夫には夢があったんです。ふたりともソウルミュージックが好きで、ソウルバーをやりたいと思っていたのです。それで、昼間は夫が会社員、私が接骨院助手として働きながら、ウィークデーの夜はバーを経営し始めました。経営といっても、道楽みたいなものですね。小さなお店で、好きな音楽をかけるような。同じ音楽が好きなお客さんとお酒を飲んだり話をしたりするのが楽しくて、4年続けました。お互いにお店以外でも働いていたので、多少の赤字があっても、そんなに気にしなくてすんでいました。若くて体力もあったから、長時間働くのも、ぜんぜん平気でした。
お店を閉めるきっかけは、妊娠したから。お酒を飲むわけにもいかず、夫だけで店をやるわけにもいかなくて、やむなく閉店。立て続けにふたり子どもを産んだので、しばらく仕事からは遠ざかりました。
ヘルパー2級を取ったのがきっかけに
下の子が1歳になるころには、家にずっといるのがつまらなく思えてきて。何か仕事がしたい、という気持ちがどんどん湧き上がってきました。ちょうどそのころ、母がヘルパー2級(現在の介護職員初任者研修に相当)をとったんです。それで「あなたも取ってみれば?」と言われまして。社会福祉協議会で研修をしていたので、子どもを母に預けて研修を受けました。そして、実習先の訪問介護ステーションから「うちに来ないか?」とすすめられて、介護業界に飛び込んだのです。
次回は、新人ヘルパー時代のAさんの仕事ぶりをお伝えします。
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