生活相談員のパート職員として入り、その後、管理職にステップアップしたOさん。ところが、起業しようと、その会社を辞職。結局は、資金不足で断念しました。もう、羽ばたくことはできないのか……? しかし、当時の上司が復帰を願い、誘ってくれました。北海道の最北端の特養から始まり、横浜で本部期待の管理者に。紆余曲折を味わったことが、昇進につながっています。Oさんの言葉の中に、キャリアアップのヒントがたくさん詰まっています。
*O・Rさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
O・Rさん(34歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…14年
●介護の仕事に就く前…介護専門学校学生
●介護業界での転職回数…6回
●いままでの勤務先…特別養護老人ホーム、療養型病院、デイサービス、居宅介護支援事業所、地域包括支援センター、大手介護関連企業
●保有資格…介護福祉士、介護支援専門員
30歳を過ぎて、はじめての首都圏勤務
地域包括支援センターのケアマネジャーの仕事は、毎日が勉強、毎日が刺激的です。直接的に困っている人を支援できる環境で、行政に提出する書類の書き方などを学べるのも含め、仕事の面白さにのめり込みました。まさに、専門家集団の中で、成長させてもらいました。
もっと働いていてもいいと思っていたのですが、以前働いていた大手介護企業での上司が、昇進して本部の新規開拓事業の責任者になっていました。その方から頻繁に「戻って来てよ」という連絡をもらっていたんですね。新規の事業所を巡回して立ち上げにアドバイスをするような職務を担当してほしいと。
起業のために自分勝手に辞めたのに、熱心に誘ってくれるのがありがたかったですね。地域包括の仕事にはとても魅力を感じていましたが、給料が安いのが欠点でした。手取りで12万円では、一人で暮らしていくにもやっとでした。誘われた企業の社員になれば、給料はグンと高くなる。自分の年齢を考えても、手取り12万円のままでは、立ち行かないと思ったのです。
北海道エリアの新規事業所サポート、ということで、お受けしました。ところが、その上司が転勤になり、横浜の担当に。自分もそれに従って横浜勤務になるというので、30歳を過ぎて、はじめて首都圏で暮らすことになりました。
人の多さや文化の違い、気温の高さに戸惑いましたが、車で様々な施設を回り、アドバイスをする仕事自体はおもしろかったです。また、車が好きなので、車を走らせて仕事ができるという環境自体も楽しかった。この職場で同僚だった今の妻と知り合い、横浜から異動した7カ月の名古屋での勤務の後に、結婚をしました。
5年弱の勤務で年収500万円超に
現在は、横浜のデイサービスの事業所の立て直しをやっています。土地勘がないので、ちょっと苦戦しています。が、なんとしても売り上げを上げて行かなければいけない。今さまざまな策を考えているところです。
振り返ると、最初の特養から始まって、本当に紆余曲折でした。よくなったりどん底になったり、ジェットコースターのよう。でも、この企業で働かせてもらったことで、結果的にステップアップができた。今の会社に感謝しています。
大手の企業だと、給料も悪くない。介護職は年収300万円と言われますが、僕は今、34歳で500万円以上の収入があります。転職を重ね、この企業にいたのは5年足らずです。そう思うと、「介護業界は給料が安い」というのは、当てはまらないケースもあるわけです。給料が安定しているので、結婚もできましたし、子どもも近々生まれるんですよ。
管理者になると、売り上げを常に念頭に置かねばならず、それがプレッシャーですが、やればやるだけ昇進でき、励みになります。求人を出しても、成績を上げる営業力が必要なため、管理者の応募に応じる方はそう多くないのですが、上を目指したい、という人はぜひチャレンジしてほしい。現場にはない仕事のやりがいもあります。
妻も、育休を終えたら、私と同じ仕事に戻ります。ふたりで働いて子どもを育て、より豊かな人生を送れればいいな、と思っています。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*O・Rさんの「私が転職した理由」…
1回目、
2回目、
3回目、4回目(最終回)はこちら
●先輩たちの職場選びの失敗事例に学ぼう
→ 「こんなはずじゃなかった…」 転職先選び 私の失敗談
●○● 介護業界で転職する時の 基本ノウハウ ●○●
介護求人ナビの求人数は業界最大級! エリア・職種・事業所の種類など、さまざまな条件で検索できます