◆訪問介護事業(ヘルパー→サービス提供責任者)→グループホーム・居宅介護支援事業所(介護職→ケアマネジャー)→グループホーム(管理者)→専門学校(講師)
T・Sさん(女性・55歳)
●訪問介護事業所(勤務期間:6年/年収270万円)
●グループホーム・居宅介護支援事業所(勤務期間:6年/年収360万円/ケアマネジャー手当あり)
●グループホーム(勤務期間:2年/年収460万円/管理者手当あり)
●専門学校(勤務期間:2年10カ月/年収360万円)
介護業界以外でのその他経験:日本語教師
保有資格:ヘルパー2級(現・介護職員初任者研修)、介護福祉士、介護支援相談員
家族構成:夫、長女、次女
*T・Sさんの「転職 成功・失敗 体験談」…1回目、
2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
【介護職になったきっかけ】家族介護が一段落して友人に誘われた
家族が次々に介護が必要な状態に
私が初めて介護に関わったのは、33歳のころ、父が末期のガンだとわかったときからです。
体力を失くしながらも、病院で管につながれたくない、という父の気持ちを尊重して、家に父を引き取って在宅介護。
そして、ホスピスで父を看取りました。
その後、父を亡くした母がうつ状態になり、同じ頃、夫が交通事故で2カ月の入院。
長女は新築の家の新建材のアナフィラキシーで2カ月間の入院、そして次女も喘息で2カ月半の入院……。
1人で家族の面倒をみる生活が続きました。
家族介護の経験を活かして、週1回のヘルパーを始めた
家族の介護が一段落したころに、友人から、訪問介護事業所を開設するという知らせが来ました。
「家族介護の実績があるのだから、その経験を活かしてぜひヘルパーとして働いてほしい」と、ヘルパーになることを打診されたのです。
えっ、と驚きました。
家族の介護はできても、他人の介護なんて、私にはできない……。
当時、まだ子どもたちは幼稚園に通っていましたし、仕事として介護に関わるなんて、考えたこともありませんでした。
でも、せっかくお声をかけてもらったのだから、とさんざん悩んで。
子どもたちを母にみてもらって、「週に1度なら」という条件で、ヘルパーの仕事を始めることにしました。
【訪問介護の道へ】「生活支援だけ」だったはずが、身体介護をすることに
美容院への移動支援が最初の仕事
私がヘルパーの仕事を始めた当時は、介護保険制度が始まる直前でした。
それでも、ヘルパーの資格を取得したほうが働きやすいから、という理由で、「テキスト代だけ払ってくれれば、授業料は事業所が持つ」と友人が申し出てくれて、ヘルパー2級の資格を取ることになりました。
私自身は、介護職として仕事をするにしても、身体介護をするつもりはなく、おひとりでは動きにくいお年寄りの生活のお手伝いをする仕事なら、という気持ちだったのです。
家族の介護はできても、他人様の介護なんておこがましいし、気持ちの上でも難しい……、そんな思いでした。
当時は移動支援の仕事も多かったので、友人は「利用者さんの外出の付き添いをお願い」と、取り組みやすい仕事を割り振ってくれました。
最初に担当したのは、利用者さんを美容院にお連れする仕事でした。
昔は、週に一度美容院で髪を洗い、髪をセットしてもらう、という方がよくいらっしゃいました。その女性も同様で、日中独居の、品がいい高齢の女性でした。
その方をお迎えに行き、美容院に付き添い、洗髪や髪のセットをお待ちしてお支払いのお手伝いをし、家まで送り届ける。
それぐらいの支援なら、私にも気楽にできました。そして、回数を重ねるごとに、利用者さんとの信頼関係もできてきました。
利用者さんの体が弱り、身体介護も望まれることに
1年近く付き添いをしていると、利用者さんのお体はだんだん弱ってきて、身体介護が必要になってきました。
ヘルパーを始めた当初、私は排せつや入浴の介助はやりたくない、と宣言していましたが、「身体介護が必要になったからこの方の支援はやめる」というわけにはいきません。
ずっと支えてきた利用者さんですし、その方も、「身体介護はTさんにしてほしい」とおっしゃいます。
必然的にその方の身体介護をすることになり、やがて週に1日の勤務が2日に、慣れてきたら他の利用者さんの介護に携わることも多くなり、週に3日、4日と増えていきました。
当然ながら、「こんなにたくさん働いてくれるなら、ぜひ正社員に」と管理者の友人に言われました。
そんないきさつで、登録ヘルパーから始めた介護の仕事でしたが、いつしか訪問介護事業所の正社員になってしまいました。
【登録ヘルパーから正社員、そしてサ責へ】介護職として毎日スキルアップ
ヘルパーのまとめ役「サービス提供責任者」に
登録ヘルパーとして週に1度働けばいい、と思っていたのが、フルタイムの正社員に。そして、介護の仕事を始めて4年目には、サービス提供責任者(サ責)として、ヘルパーのまとめ役に。
自分でも驚く展開でした。
しかし、これが、とてもいい経験だったのです。
当時は、ちょうど介護保険制度が始まったばかりの頃。
新しい制度のもと、介護に注目が集まり、利用する方もどんどん増えました。当然、事業所も大きく発展していきます。
利用者さんは80名、登録ヘルパーは120名、そしてサ責は10名もいました。
多様な利用者さんがいて、多様な仕事がある。毎日が変化の連続、毎日がドラマでした。
登録ヘルパーだった頃は、自分の利用者さんだけを見ていればよかったですが、サ責になると、利用者さんとヘルパーのマッチングが重要になり、そして、そのマッチングによって、利用者さんのADL(日常生活動作)の確保やヘルパーの成長度合いも変わってきます。
長期的な介護の視点、そして経営視点からも介護を見ることになります。
悩んだり、立ち止まったりすることも増えました。
サ責同士でスキルアップし、学び合えた
けれど、サ責の仕事で立ち止まってしまったとき、1人で悩むことはありませんでした。
サ責同士がとても仲のいい事業所だったので、困ったことや悩みごとは常に相談でき、情報共有することができました。
解決法のヒントをもらい、そしてサ責同士がモニタリングをし、困難ケースも乗り越えていけたのです。
介護に携わる者としての基礎を作ることができたのが、このサ責の時期でした。
介護の仕事を始めてから、あっという間に6年がたちました。
3年目で介護福祉士の資格を取り、5年が過ぎた頃には、ケアマネジャーの資格も取得しました。
同じ法人内に居宅介護支援事業所があり、「ケアマネジャーとして働く道もある」と言われましたが、私はこの法人では、サ責であることにこだわりました。
訪問介護事業所の人間関係がとてもよかったですし、学べることがたくさんあったからです。
サ責として居宅介護支援事業所のケアマネジャーの方と話をすることもありましたが、訪問介護事業所のスタッフの方がやる気があったように感じていたのです。
きちんと利用者さんをモニタリングせずに、型通りのケアプランを作ってくるケアマネジャーには、サ責のほうから、「こんな計画書では現場は動かせない」と、強気で突っ返すこともありました。
それほどに、サ責としての正義感や使命感が強かったのです。
【はじめての転職のきっかけ】認知症ケアを学ぶためグループホームへ
ただ、サ責になってから3年ほどたつと、新たな経験をしてみたくなりました。
当時、一番悩んでいたのが、認知症の利用者さんの対応でした。
独居で認知症の方の在宅ケアの難しさの前に力不足を感じ、認知症の方の介護に特化して仕事をし、学びたいと強く思うようになったのです。
介護保険制度ができ、地域でのケアの重要性が叫ばれていた頃でした。
「認知症の方の自立支援を地域で促す」というグループホーム(認知症対応型共同生活介護)に身を置きたくなりました。
私を育ててくれた訪問介護の現場を去ることはとてもつらいことでもありましたが、新たな学びを求めて、求人サイトに登録し、自宅から近く、通いやすいグループホームに転職を決めました。
次回は、グループホームの介護職として転職したTさんのキャリアアップの経過をお伝えします。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*T・Sさんの「転職 成功・失敗 体験談」…1回目、
2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
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