■書名:大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】~2025年問題の解決をめざして
■著者:中村 仁一
■出版元:幻冬舎
■発行年月:2017年3月
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目からうろこの死生観を、現役老年医師が解説
日本は世界一の長寿国だが、長寿であっても必ず死は訪れる。その死が苦しまず安らかでありたいと誰もが願っていることだろう。
死ぬ直前まで元気で、ある日突然コロッと逝きたい。そんなピンピンコロリが理想だと言われるが、著者の中村さんによれば、それは1等7億円のジャンボ宝くじに当たるより難しいらしい。
ではどうしたら大往生を遂げることができるのだろうか?
老人ホーム付属診療所所長・医師である中村さんは、500例を超える自然死を看取ってきた。
5年前に本書と同じタイトルの「大往生したけりゃ医療とかかわるな」を出版し、老年期のがんは治療しない、酸素吸入も点滴注射もしない「自然死」こそが最も安らかな死に方であると説明した。
本書はその考えを踏襲し、目前の課題である2025年問題(団塊の世代が後期高齢者となる75歳を迎え、社会保障財政の崩壊が心配される)の解決策を探っている。
その解決策を一言で言うならば「老人の意識改革」。
医療に頼ればなんとかなるという気持ちを捨てて、物を口から食べられなくなったら一切の医療介助を受けず自然死を受け入れようというものだ。
<進歩したといわれる医療に縋れば、何歳であろうと、どんな状態であろうと、なんとかなるという“マインド・コントロール”から、解き放たれなくてはなりません。目を覚ましましょう。資源は有限なのです。
年金制度、医療保険制度、介護保険制度、こんなにいい制度はありません。それを“枯れ木″状態やそれに近い年寄りが、今、食い潰そうとしています。(中略)
もう、2025年まで、そんなに時間はありません。では、実現のために、どうすればよいのでしょう。それは、まず、年寄りの幸せにつながっていない「長生かし」や「長生かされ」をやめることです。>
病気やケガを治す主役は、本人がもつ自然治癒力で、医療はその手助けに過ぎない。
臓器移植や胃ろうなどの人口の機器を取り付けるといった医療技術によって、昔なら死んでいたのが生き延びられるようになったことは事実。
しかし、所詮医療は中途半端(ハーフウェイ・テクノロジー)である。そして、どんな状態であろうと助かればいい、一分一秒でも長く生きればいいというのが、医療の恐ろしいところだと中村さんは言う。
そうした医療に頼れば、もはや「長生き」ではなく「長生かし」「長生かされ」になってしまうというのだ。
人間には穏やかに死ねるしくみが備わっている。
それなのにチューブをつけられ、不必要な薬や栄養を流し込まれたり、深刻な副作用もある抗がん剤を投与されたりすることは、拷問の何物でもなく、本人は決してそのようなことを望んではいない。
「延命医療」「延命介護」が、人間の穏やかな死を妨げていると断言できるのは、医師である中村さんが、老人ホームの現場で多くの「延命処置」に立ち会ってきたからこそである。
介護職についても、本当に利用者のためになっているのか、負担をかけていないかを、言葉だけでなく、態度や表情から察することができるのが、真のプロの介護職だと言っていることにも注目だ。
75歳を過ぎた己を「死に損ない高齢者の真打ち」と称し、医療を「いのちを担保にしたバクチ」、治療には「傷害行為(刺したり、切ったり、はったりする)」や「強制ワイセツ行為(撫でたり、さすったり、揉んだりする)」を伴うなどといった言い方に、不快感を抱くかもしれない。
さらに、「どんな姿でもいいから生きていてほしいという願いは、全く本人のことを考えていない家族のエゴ」「70歳以上が救命救急センターの利用を希望した場合は医療費の全額負担を提案」などいう物言いは過激に感じるかもしれない。
しかし、その真意は本人のQOLを考えてのことであり、社会保障制度を後代に残すための方策であるのではないかと考えさせられる。
これまでの死生観を考え直すきっかけになり、また高齢者を介護する者としても一読に値する一冊である。
著者プロフィール
中村 仁一(なかむら・じんいち)さん
1940年長野県生まれ。社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所所長、医師。京都大学医学部卒業。財団法人高雄病院院長、理事長を経て、2000年2月より現職。1985年10月より、京都仏教青年会(現・薄伽梵KYOTO)の協力のもとに、毎月「病院法話」を開催、医療と仏教連携の先駆けとなる。1996年4月より、市民グループ「自分の死を考える集い」も主宰。