介護関係者の間では、徐々に使われなくなってきていた「徘徊」という言葉。2015年7月、「安心して徘徊できる町」というキャッチフレーズで知られる福岡県大牟田市が、「徘徊」という言葉を使うのをやめると発表しました(*)。
大牟田市を手本に、今や全国100以上の市町村で行われている「徘徊SOSネットワーク模擬訓練」も、大牟田市では「認知症SOSネットワーク模擬訓練」という名称に変更する予定だということです。これは、他の市町村にも大きな影響を与えそうですね。
「困難事例」という表現もそろそろやめてはどうか
一方、この表現はどうなのかといわれながら、未だに使われているのが「困難事例」という言葉です。
「困難」とはいったい誰にとっての困難なのか。もちろん、支援を受けている本人は、何らかの困難を抱えていると思います。しかし、「困難事例」と呼ぶのは、多くの場合、支援者側が支援に「困難」を感じているから。この表現には、支援される側への配慮があまり感じられません。
また、「困難」というレッテルを貼ることで、無意識のうちに「解決は難しい」という思いにとらわれてしまいそう。そうなると、支援が必要な人の個別の事情を細かく見つめ、解決の糸口を探ろうという目が曇ってしまいかねません。同じように、気持ちが落ち着かず周囲に対する言動が攻撃的な時などによく言われる「不穏」という言葉も、あまり安易に使いたくないものです。
かつて、周囲がとまどうような認知症の人のさまざまな行動は、「問題行動」といわれていました。それは今、「BPSD(behavioral and psychological symptoms of dementia)」(周辺症状)と呼ばれるようになっています。これは、認知症が引き起こす行動と心理的な症状ということ。「BPSD」と呼ぶことで、「問題」は認知症の人でもその行動でもなく、認知症の人を困らせている「状況」なのだという認識が広がっています。これは、言葉を置き換えたことによるいい変化です。
言葉ではなく支援が必要な人に意識を向ける
しかし、「BPSD」という言葉も安易に使うと、「困難事例」と同じように、レッテル貼りになる危険があります。例えば、家ではいつも穏やかだった認知症の女性。施設入所後、夜になるといつも機嫌が悪くなっていました。言葉のやり取りは困難で、どうしたのかを尋ねても理由がわかりません。なだめても、気分転換にお茶を飲んでもらってもダメ。職員から、入所したことにより認知症が進行し、BPSDが表れたのではないかという意見が出ました。この女性が騒ぐことで、周囲の入居者も落ち着かなくなってしまうことから、向精神薬の処方も検討されました。
薬を処方してもらう前に、女性がいつ機嫌が悪くなり、そのとき何があったかを記録する「24時間生活変化シート」を付けてみることになりました。それを付けてみてわかったのは、機嫌が悪くなるのは決まってパジャマに着替えたときであること。試しに違うパジャマを着てもらったところ、機嫌が悪くなることはありませんでした。機嫌が悪くなることをBPSDで片付けずに、この女性をしっかり見つめたことから、本人にとって、パジャマの着心地が耐え難いほど悪かったのだ、と気付くことができました。
機嫌が悪くなり、なだめてもうまくいかないと、「BPSD」という固定観念を持ってしまいがち。しかし、そうすると「困難事例」と同じように、困っているその人をしっかり見つめて、何が原因でそうした行動をするのかを探る努力がおろそかになることがあります。
偏見を招く言葉を、中立的な言葉に置き換えていくことは大切です。しかし、本当に大切なのは、言葉ではなく、支援を必要としている人にきちんと意識を向けること。それを忘れずにいたいですね。
<文:宮下公美子>
●大牟田市の取り組みについては、下記のページでもご紹介しています。
→認知症の行方不明者は全国で1万人…あなたの勤務先で起こったらどうする?
*「徘徊」使いません 大牟田市、訓練の名称変更(西日本新聞 2015年07月22日 )