サービス提供時間が5~9時間の“滞在型“が主流だった通所介護(デイサービス)。しかし、最近では、リハビリテーションに特化したデイサービスが増えています(*)。
3~5時間で、食事や入浴を提供しないこのデイサービスは、一般に”リハビリデイ“と呼ばれています。2015年4月の介護報酬改定では、リハビリ関係の加算が増え、リハビリの強化が色濃く打ち出されました。リハビリデイは、そんな国の方針とも合っているといえます。
その人の持っている能力を奪う“親切”
国がリハビリを重視しているのは、脳卒中や骨折などによって身体の機能が低下した人に回復してもらうためだけではありません。むしろ、注目しているのは、大きな病気やケガがないのに活動量が減って徐々に心身の機能が衰えてきた人たち。以前であれば「廃用症候群」、今は「生活不活発病」と呼ばれる人たちです。身体を使わないことで心身機能が低下しているのなら、身体を動かし、脳に刺激を与えて、元気を取り戻してもらおう、というわけです。
ここで大切なのは、リハビリとは、デイサービスなどの介護の場だけでするものではないということ。本来、人が暮らしていく中での動作は、どれもリハビリになるはずです。たとえば、歩いていてものを落としたとき。膝を曲げて、手を伸ばして拾い、膝を伸ばしてもとの姿勢に戻りますよね。これだけでもちょっとした運動であり、リハビリです。ところが、介護が必要になると、こうした動作をしなくなることが多いのです。それはなぜでしょうか。周囲の人達が、落とした本人に変わって拾ってあげるからです。家族だけでなく、介護職にもそうした対応をする人が、まだ少なくありません。
拾いにくそうにしている姿を見ると、つい拾って渡したくなる。それは、日常生活では「親切」といわれる行為です。しかし介護の場では、それは本人の能力を徐々に奪っていく行為。親切ではありません。どの利用者がどこまでなら自分一人でできるのか。どの部分に手を貸せば、あとは自分でできるのか。それを把握していないと、適切な介護ができず、過剰な介護になりがちです。また、待つことも大事です。要介護の高齢者が、人の力を借りずに不自由な身体でやろうとすれば、時間はかかります。それを待ちきれずに、介護職がやってしまうことも介護現場では少なくありません。
さらに、高齢者自身の意識の問題もあります。「大事にされたい」「親切にしてほしい」という思い。できることは自分でやってもらおうと、手を出さずに見守っていると、「冷たい」「意地が悪い」と言う人もいるかもしれません。そこは、時間をかけて説明し、なぜ自分でやることが大切なのかを理解してもらうことが必要です。
一生歩けないと言われていた男性を歩けるようにしたデイサービス
あるデイサービスに、入院中にベッド上で過ごすうちに拘縮が出て、膝が曲がったまま伸びなくなってしまった男性が通い始めました。病院の医師は、「この方はもう立てるようにはならない」との見解。しかし、そのデイサービスは諦めませんでした。車いすで通うこの男性に、トイレのたびにわずかな時間ずつでも立ってもらい、便座に移ってもらうようにしました。食事の時には、車いすから立ってダイニングのイスに移ってもらいました。
そうして週5日デイサービスに通い、男性は1年ほどを過ごしました。そのうち、男性は徐々に立てる時間が延びていきました。そして数年たった今では、膝は少し曲がっているものの、普通に歩いて過ごしています。日常生活をリハビリとして、根気よく身体の機能を取り戻せるよう働きかけ続けた成果です。「立てないよ」「無理だよ」というこの男性の言葉に従っていたら、どうだったでしょう。転倒したら大変だからといって立たせなかったら? おそらく、男性が立って再び歩く日は来なかったでしょう。
人は誰でも、楽をしたいという気持ちがあるものです。その楽をしたいという気持ちを理解することは大切です。しかし、楽をして何もかも人にやってもらわないといけない生活と、自分でできることがたくさんある生活。どちらの方がより幸せかを伝えていくことも、介護職の大切な役割ではないでしょうか。
<文:宮下公実子(介護福祉ライター・社会福祉士)>
* 脱・寝たきり、秘策あり 通所リハビリ施設広がる (日本経済新聞 2015年9月15日)