支援を拒否する人の「受援力」を引き出せているかを自問する
高齢者と接していると、自然と「この人の力になりたいなあ」という気持ちにさせられる人はいませんか。それは、「受援力」が高い人かもしれません。「受援力」とは、「介護される人自身が『どうありたいか』という考えを表現し、人に『助けたい』と思わせる」力だと、ある研究者が言っています(*)。
今の高齢者は、遠慮深く、人の世話になることを「恥」と考える人が少なくありません。そのため、介護職や周囲の人が、生活を維持していくには他者の力が必要だと感じても、本人が拒否し、なかなか支援に結びつかないことがあります。「受援力」が弱いとも言えますが、専門職であれば、そこで、どうすればその人の「受援力」を引き出せるかを考えることも必要です。
ここで、支援を受けることを、自分たちに置き換えて考えてみましょう。たとえば、悩み事があるとき、相談したいな、と思い浮かぶ人はいませんか。反対に、「どうしたの? 何かあった?」と声をかけてきてくれても、積極的に相談しようという気持ちになれない相手もいるのではないでしょうか。
この違いはどこからくるでしょうか。
もちろん、親しさの度合いの違いによるところもあるでしょう。しかしそれ以上に、相談をしたとき、相手がどのような反応を示すか、どのように受け止めてくれるかを考え、私たちは相談相手を選択しているのではないかと思います。
支援がうまくいかない原因を相手に求めても、事態は変わらない
高齢者の支援をしていると、「難しいなあ」と感じることがあると思います。いくら話しかけてもろくに返事もしない。支援しようとすると、「うるさい、ほっといてくれ」と拒否する。それでも近づこうとすると、激しく抵抗する。「難しいなあ」と思いますよね。
ただ、この「難しい」が、「支援とは難しい」であればいいのですが、「難しい人だなあ」であるとしたら、ちょっと気になります。さきほどの「悩み事の相談相手」をどう選択しているかを思い出してみてください。対象者は、支援をしてもらう相手を無意識のうちに選択しているとは考えられないでしょうか。
「原因は相手にある」と思っている間は、対象者との関係はなかなか変わっていきません。自分自身を振り返り、「話したい、頼りたいと思える支援者」となっているか、相手の受援力を引き出せているかを考えてみる。頼ってこない対象者は、支援者としての自分が視野に入っていないのかもしれない。自分は、頼りたい対象として見てもらえていないのかもしれない。その可能性に気づけたときから、新たな支援が始まります。
相手を支援したくてもうまくいかないと、つい原因を自分以外のどこかに求めたくなります。しかし、支援に限らず対人関係においては、問題の原因が相手にあると考え、相手を変えようとするより、自分自身が変わる方が事態は早く動きます。自分が変われば必ず相手との関係性に変化が現れます。そして、関係性が変われば、時間はかかるかもしれませんが、相手も少しずつ変わってくるのです。
自分の支援がなぜ届かないのか。なぜ支援者として認識してもらえていないのか。立ち止まって、いま一度自分の行ってきた支援を振り返り、アプローチを変えてみる。支援がうまくいかないときには、そんなことを意識してみてはいかがでしょうか。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*私の社会保障論 介護の概念広げる議論を(毎日新聞2016年8月24日)