在宅介護で孤立し追い詰められた結果、起こってしまった悲劇
地域包括ケアの時代となった現在、在宅介護が推奨されています。
一方で、介護保険は徐々に重度者シフトが進み、要介護度が軽い在宅要介護者への支援が手薄になりつつあります。在宅介護に疲れて、あるいは行き詰まって、要介護者に手を上げたり、思い詰めて手をかけたりしてしまうケースはなくなる気配がありません。
2016年度に厚生労働省が行った調査では、虐待の相談・通報件数は2万7940件、虐待と判断された件数は1万6384件に上りました。
介護している家族が要介護者に手をかけてしまった事件では、2018年2月に茨城県で認知症を持つ母親を絞殺した、公判中の男性に取材した新聞記事が、2018年12月に掲載されました(*)。
男性への取材で明らかにされたのは、ともに介護を担っていた同居の兄が体調を崩したことで、退職して介護を担う決断をし、精神的にも経済的にも追い詰められていった男性の姿でした。
収入が母親のわずかな年金だけとなり、介護サービスも受けられず、食べるにも困った男性は、誰にも相談せず、大切にしていた母親を殺めるという選択をしてしまいました。
「家族のことを知られるのが嫌だった」。
なぜ生活保護を受給しなかったかと問われ、男性はそう答えたそうです。親を殺める以上に嫌なことなどないはずですが、そうした判断力が働かないところまで、この男性は追い詰められていたということでしょう。
介護家族の苦しさを目の前にして、生活に踏み込むことにためらう介護職も
経済的に追い詰められる以前は、週1~2回、デイサービスを利用していたそうですから、当然、男性の母親にはケアマネジャーがいたはずです。
担当ケアマネジャーも、おそらくはデイサービスの利用を中止すると言われたとき、なぜ中止するのか、中止してどうするのかを尋ねていると思います。
介護家族には、特に男性の場合、人に弱みを見せたくない、助けを求めたくない、家庭内のことを知られたくない、と考える人がいます。経済的に苦しくて介護サービスの利用を中止する場合、その事実を知られるのを恥だと考える人もいることでしょう。
一方、支援する側も、本人たちが知られたくないと考えている問題にあえて踏み込んでいっていいのか、ためらってしまうという声もよく聞きます。
その気持ちは理解できますが、「苦しい状況を伝えない」「そこにあえて踏み込まない」結果として、こうした悲劇が起きているのもまた事実です。それぞれの思いは尊重されるべきですが、命より優先されるものではありません。
利用者と介護家族を守るために必要な「嗅覚」と「勇気」
経済問題については、ケアマネジャーの中には契約の段階で確認するという人もいます。これからいろいろな提案をしていく上で考慮させていただく必要があるから、と断った上で、介護サービスにかけられる月額の予算や年金の状況について確認するのだそうです。
確かに、最初に必要な情報として聞く方が、後から聞くより答えてもらいやすそうです。
そうして、経済状況を把握しておくのは、必要に応じて適切な介入をしていく上で大切なことです。
しかし、これはあくまでもテクニック的なもの。それより大切にしたいのは、まず、支援者として、利用者やその家族の命に関わる危機に気づく「嗅覚」です。
孤立しがちな介護者と接していて、「大丈夫だろうか」と感じることはあると思います。「少し気にかけておく状態」と、「積極的な介入が必要な状態」を嗅ぎ分ける嗅覚を持つことは、支援者にとってとても重要です。
そしてもう一つ、危機的だと感じたとき、相手が嫌がることにもあえて踏み込んでいく「勇気」を持つことも重要です。
利用者や介護家族の生活状況に踏み込んだとき、怒らせたり傷つけたりすることもあるでしょう。また時には、支援者の思い過ごし、考えすぎで踏み込み、クレームになることもあるかもしれません。もちろん、そんなことがしばしばあっては困ります。
しかし、ここぞと思うときに介護職が踏み込む勇気を持つことは、支援者として必要ではないかと思うのです。
たとえ、怒らせ傷つけることになっても、取り返しのつかない事件だけは起こさせたくない。
心の底から利用者やその家族を思う気持ちからの行動であれば、利用者やその家族にとって不本意な介入だったとしても、最終的には理解してもらえるのではないでしょうか。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*茨城・石岡の介護殺人:58歳息子の告白 「家族のこと言えず」孤立 残金805円、生活保護求めず(毎日新聞 2018年12月7日)