福祉の世界で、情熱を持ってキラキラと輝いて生きている「情熱かいごびと」。
今回から4回は、生活困窮者のために日々邁進する宮澤 進さんのインタビューをご紹介します。大きな組織から飛び出し、「福祉の専門家として何ができるか」を常に自らに問いかけ、答えを行動で示しながら結果も出してきました。
組織の中で悩んでいる人にとって、宮澤さんの情熱と行動力は、きっと心にガツンとくるはずです。第1回目では、まずはそのルーツを語っていただきました。
○●○ プロフィール ○●○
宮澤 進 ( みやざわ すすむ ) さん
独立型社会福祉士事務所 NPO法人ほっとポット代表理事。1982年東京都生まれ。立正大学社会福祉学部卒後、2004年さいたま市保健福祉局福祉部福祉総務課ホームレス相談員に。
2007年NPO法人ほっとポット入職、生活困窮者の支援に邁進する。11年、同法人代表理事に就任。
2012年、29歳で法務大臣より保護司を委嘱される。当事者支援を通し、司法と福祉を繋ぐ活動に携わる。2012年法務省矯正研修所高等科講師を務める。同年、公益社団法人日本社会福祉士会独立型社会福祉士名簿に登録。公益社団法人埼玉県社会福祉士会会員。
NPO法人ほっとポット ホームページ
*掲載内容は取材時(2014年)の情報となります。
高校時代に日本赤十字社の活動を部活で実践
宮澤さんが代表理事をつとめる独立型社会福祉士事務所NPO法人ほっとポット
――私たちは介護の分野で、在宅の高齢者や施設入所の高齢者の方々の支援を目指していますが、宮澤さんは安定した家がないなど、いわゆるホームレス状態の方々の支援を中心にお仕事をされていますね。
はい。私が代表理事をしている独立型社会福祉士事務所NPO法人ほっとポットは、住居を失い(そのおそれのある)生活に困窮されている方々の地域生活安定に向け、社会福祉士などが相談・助言・調整支援を行う団体です。
――学生時代から貧困問題の支援に興味があって、今の仕事に結びついたのですか? あるいは、今の仕事に結びつくきっかけがあったのでしょうか?
学生時代は、特別に貧困問題に興味があったというわけではないんです。ただ、中学時代から、困っている方を支えられるような人になれれば、と漠然と考えていました。高校に入学し、先輩たちによる部活勧誘を見ながら、どんな部活に入ろうかと探っていたところ、日本赤十字社の「青少年赤十字(JRC)」に目が留まったのです。
日本赤十字社の「青少年赤十字」は、児童・生徒が赤十字の精神に基づき、世界の平和と人類の福祉に貢献できるよう、「健康・安定」「奉仕」「国際理解・親善」といった目標を掲げ、活動をしています。母校の高校内にあったJRCでは、具体的には、NHK海外助け合い募金といった募金活動にボランティアで協力していました。「災害で家を失った方などに、活動を通じて、支える事ができる。ボランティアをしてみませんか」。そう先輩部員にやさしく説明され、すぐに入部を決めました。
――部員は何人ぐらいいたんですか?
20人ぐらいでしたね。全員が女子生徒で、男子生徒は私ひとりでした。同級生の男子が何人か一緒に入部しましたが、活動の意義より、優しい先輩女性への憧れと下心で入部した男子はみんな辞めましたので(笑)、結局私だけが残ったわけです。若干、肩身の狭い思いも経験しましたが、そんなことはあまり気にせず活動していた思い出があります。
そういった
募金活動を中心に、目標を同じくする学外の学生たちとも交流をもつきっかけになりました。それもまた、とても良い経験になりましたね。
大学時代には災害救援活動や防災団体立ち上げに
――大学は福祉系の学部に入学されましたね。
大学受験を考える頃には、災害救援に強い興味を持っていました。そのためには社会福祉全般について学び、社会福祉士の資格も取得したいと思っていました。母校の立正大学は自由な校風で、家からも遠くなかったので、ここに入学しようと。
ただ、大学には、災害救援のサークルはなかったんです。物足りなさを感じていたところ、友人が災害救援のサークルを作るというので、立ち上げを手伝いました。高校の頃は、すでに存在する部活に参加しましたが、大学では、自分たちでサークルを0から立ち上げたわけです。ここでは、災害時の初期消火の仕方や負傷した方への包帯の巻き方や固定の技術を習得するといった応急手当の技術を学びました。
そうするうちに、
学内サークルという枠に留まらず、学外と広くつながりたいという気持ちになりまして、災害支援の任意団体を作りました。大学で学んでいた地域福祉と関連付け、防災に視点を置いた学生ボランティア団体を立ち上げました。埼玉県東松山市を活動拠点に、町中を回り、地域の防災力を調べ住民へ提供する、そんな活動です。
避難場所や医療機関の把握、水害発生時にはどこから氾濫し、どう避難していくかなどを、地域住民の視点で調査していました。
市職員としての立場でホームレス支援を
さいたま市庁舎
――学生のサークル活動というと、部員との交流や飲み会が中心になりがちですが、宮澤さんの場合は、支援活動や地域福祉に正面から向き合って、経験や技術などを磨いてきたのですね。
それが、就職、ひいては今の活動に結びついているのでしょうか。
地域福祉を担う職員になりたいと、県の社会福祉協議会への入職を目指したのですが、募集人員1人に100人近くが応募していたと記憶しています。最終面接まで残ったものの、残念ながら採用にいたりませんでした。
そんな時、さいたま市保健福祉局福祉部福祉総務課の「ホームレス相談員」の求人にたまたま目がいきまして応募したところ採用されました。
――地域福祉に強く興味を持つ宮澤さんにとって、市の職員はピッタリですよね。
いやいや、これが間違いでしたね(笑)。
――間違いですか!? それはどうしてでしょう?
その職名のとおり、ホームレス相談員の仕事は、家のない人やその日食べるごはんがない人、つまり路上生活者の方の起居場所などを巡回し(アウトリーチ)、生活相談・関係機関と調整しその支援を行うものです。ところが、いわゆる「組織の壁」がなかなか越えられない。
さいたま市は政令指定都市になって間もなかったのですが、10区もの「各区の福祉事務所」と「さいたま市福祉総務課のホームレス相談員」との「距離感」は、とても大きなものがありました。また、具体的な業務に対する制約も多く、支援のもどかしさを痛感する日々でした。
さらに当時、市のホームレス相談員は、私ひとりしかいませんでした。住民からの声に必要とされ誕生した職ではあるのでしょうが、機能するには足りない面が多すぎた記憶があります。
また大変振り返りたくない事ではありますが、「住民から必要とされる」には二通りの「声」がありました。
「住居もなく命の危機にさらされた人がいて、このままでは路上で人が亡くなってしまう。直ぐに来てほしい」という声と、「目の前からホームレスは追い出してほしい。駅前や公園から直ぐに排除してほしい」という厳しい声です。後者の考え方には抵抗がもちろんありますが、そういった要望の背景に、地域住民一人一人の立場が見え隠れしました。地域の防犯上の観点とか、子どもたちの遊び場として利用する公園などの安全面への心配です。いろいろな立場の中で、利害関係が噴出していました。それもまた「貧困問題」でした。生存権の保障を具体的に行うホームレス相談員が直視する現実は、厳しいものばかりでした。
ただ、目の前には2週間もごはんを食べていない人がいる。彼らの中心は、60代です。これまで土木、警備、飲食業などで日雇いなどの就労を続けてきた人たちです。よくイメージされるような「無就業で働く意欲が無い」ということはほとんどない。
年齢を重ねたり健康を害しているなどの理由で働けなくなり、
ひどい健康状態の中、やむなくスーパーやコンビニの廃棄物を食べて、かろうじて生きている。市の概数調査で把握している数よりも、はるかに多くの方が住居を失い放浪し続ける街――。当時23歳の自分には衝撃的でした。
瀕死の状態の方を救急搬送したものの、どこも受け入れてもらえず、外来診療だけで返されてしまう体験も何度もしました。
さいたま市のホームレス相談員とは誰の命と生活を支えるべき職であるのか。――悩み続けていました。
次回は、生活困窮者のために真にすることは何か、宮澤さんが語ります。
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