介護業界で転職を考えている人にとって、採用側が求める人材がどういった傾向なのか、ぜひ知っておきたいこと。今回は墨田区にある社会福祉法人八広会が運営する施設「和翔苑」の施設長の丹沢正伸さんにお話を伺いました。
<取材・文 中条佳子>
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○●○ インフォメーション ○●○
明るい空間でゆったりと過ごせるデイサービスルーム
和翔苑
社会福祉法人八広会
特別養護老人ホーム
高齢者在宅サービスセンター
ヘルパーステーション
〒131-0041東京都墨田区八広6-55-17
電話:03-3617-1501
FAX:03-3617-1502
http://www.washouen.com/index.html
ネットもなく介護の情報がほとんどなかった
今回は、和翔苑施設長のポジションに着任して約1年の丹沢さんに、これまでのご自身のお仕事の経歴と、介護業界でよく言われる「食べていけるのか?」という点ついて伺ってみました。
「高校生の夏休みに学童保育の指導員補助のバイトをした時、子どもたちとのコミュニケーションで得ることができたバイト代がすごく嬉しかったんですよね。ひと月で3万円程にしかなりませんでしたが……でもそれがきっかけで保育士になろうかと思ってたんです。その矢先に祖母が認知症になって亡くなり、自分がなにも出来なかったという思いと悲しさがあり、介護の仕事に興味をもつようになりました。その頃はネットもなくて、介護業界へ入るための情報がほとんどなく、高校の先生に訊いても介護って何をやるんだという答えでしたね。そこで自分で調べて地元の福祉専門学校をみつけたんです。当時は介護福祉を学べるのが専門学校しかなかったので大学進学をやめて、福祉専門学校へ行くことにしました」と丹沢さんは振り返ります。
学校で介護福祉を学ぶと同時に、趣味が高じてバイクの輸出の仲介をする仕事をご自身で手掛けるようになった丹沢さん。しかし大手の参入により数年でバイクの仕事では生活できなくなることを予測して、介護保険制度が始まる前の22歳の時、施設の就職を決意したそうです。
「福祉専門学校を卒業して、一年くらいかけてバイク屋を計画的にたたみながら就職先を探して、中途採用で和翔苑に入社し、介護士の仕事からスタートしました。最初は老人ホームに5年いて、その次に訪問介護センターを立ち上げて、所長として6年間ほど現場にも出ながら仕事をしました。その後デイサービスに来て2年くらいで、現在は施設長です」
たまたま専門学校がみつかって飛び込んでいけたのも運が良かったと言う丹沢さん。それがなければ今、何をやってるかよくわからないですね、と語られたのが印象的でした。
ネガティブな人の「食っていけない」という先入観が広まっただけ
現在は採用する側にいる丹沢さんですが、当時の採用される側としての立場を振り返っていただきました。
「介護職に向いてないのではというネガティブな考えは、全然なかったですね。ポジティブに考えて突き進むタイプなので、仕事は探せばあるだろうなと思っていましたし、バイク屋を続けていたら良かったということもまったく思いませんでした。介護の仕事も実は他の業界と変わらなくて、前向きに考える人は楽しく仕事をするんですね。楽しく仕事をする人のところには、どんどん仕事がふってきてもっと仕事が楽しくなる。仕事ができる人のところにしか仕事は来ないですよね」。と丹沢さん。
低いといわれている介護業界の収入面についても伺いました。
「全体的にみれば、この業界の正社員の年収は決して悪くありません。今年は様々な福祉セミナーを講師やパネリストとして受け持ちましたが、『食べていけるんですか?』という話に必ずなるんです。介護の仕事は安い給料でしかも大変だっていう評判が多いのは、ネガティブな人が『食っていけない』と言いふらすから、それが広まるだけで、ポジティブな人はそういうことは言わず長く続けていますよ。私も含めてこの業界で働いている人は、みんな介護を仕事として生活しているわけですから。介護の仕事が注目されればされるほど、介護を志す人以外の人たちがこの業界に入ってくる。『仕事がないから介護でもやるか』という人にとっては、食えなくてきつい仕事ということになってしまうのかもしれません。自分でポジティブな将来を描けない人が、食べていけないということをいいますが、でも実は5年我慢すれば開ける業界なんですよ」
5年我慢すれば開ける業界——次回はその5年後にスポットを当てて、伺ってみます。
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