福祉の専門学校を卒業後、「まず3年は特養でがんばろう」と就職したK・Jさん。しかし、オムツ替え、食事介助、入浴介助に追われる日々に疑問を感じ始めました。ルーティンワークに翻弄されず、「利用者のやりたいことを実現する」、自立支援の介護ができないか。職場の主任に理解してもらおうと試みましたが……。Kさんはこの後、転職を決意します。
*K・Jさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
K・Jさん(28歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…7年
●介護の仕事に就く前…福祉系の専門学校
●転職回数…2回
●いままでの勤務先…特別養護老人ホーム、福祉用具販売の営業(訪問介護も兼務)、小規模多機能居宅介護
●保有資格…介護福祉士
上司に相談をし、理想の介護を模索する
職場の同僚全員に、「自立を促す介護」をすぐに実施してもらおうと思っても難しいのはわかっていました。でも、直属の上司である主任なら、僕の気持ちを理解してくれ、小さなところからでも、実現してくれるはず。そんな思いがありました。これまでも話は聞いてくれていましたし、年齢もそう離れていなかったので、意欲の点でも自分と相違ないと思っていたのです。しかし、それは思い込みだったと知らされました。
事故防止の委員会に所属したのは、主任がそのリーダーだったからです。主任と一緒に、この分野から「よりよい介護」を実施していきたい。その思いが強すぎたのでしょうか。主任は、僕が熱い思いを伝えても、あまり受け止めてくれなくなったと感じていました。それは、周囲の目を気にしたのかもしれません。僕が主任のうしろについて歩いているのを見て、「取り入っている」と噂する人が出てきたのです。今思えば、もう少し距離を取りながら進めればよかったのですが、当時はまだ24歳、社会人としても未熟だったんですね。そうした同僚の声をうまくかわすような言動ができなかった。
職場内でもぎくしゃくし始めたのは特養に入って4年目の頃。僕のモチベーションは下がりっぱなしで、もうこの職場にいてもしかたがない、という気持ちになってきました。主任のさらに上の上司に辞意を伝えたのもその頃です。その上司は「君のやりたいことはサポートするから」と言ってくれたので、すぐに辞めるつもりはありませんでした。しかしだからといって、何かが変わるわけでもないのだろうというあきらめの境地にいました。
そんな時期に、同僚が事故につながる大きなミスをおかしました。すると、会議の席で、主任が同僚を怒鳴りつけたのです。それも、本当にガミガミと。
主任も、組織と若手の間で板挟みになっていたのかもしれません。上司が部下をたしなめることも必要です。でも、一度起きてしまったことを怒鳴りつけてみても、解決しません。みんなで集まっている会議の場ですから、なぜその事故が起きたのか、みんなで掘り下げて考え、原因をさぐり、対策を練ることが大事。個人を非難することは目的ではないというのが、事故対策の鉄則だと思っています。
怒鳴りまくる上司に失望し、転職を決意
会議に出席した若手はみな、あきれ、失望していたと思います。僕ももちろん同様で、「もうがまんすることはない、やめてしまおう」と気持ちが固まりました。そして、インターネットなどで求人情報を調べて、気になるところに応募し、休みの日に面接を受け始めました。あの会議に出席した同僚の中には、僕のような行動をとる人が多かったと思います。
次にどこに行こうか。老人ホームでもいいのですが、硬直した組織はもう勘弁だ、という気持ちがありました。それより、介護の現場を少し外側から見てサポートするような仕事をしたいと思うようになりました。そこで、ひかれたのが、福祉用具販売でした。
直接、利用者さんに触れるわけではない。しかし、上手に福祉用具を使うことで、生活が向上し、「やりたい」ことをやれる環境を作ることができる。僕が理想とする自立支援を、現場の外から実現できると感じました。
目に留まった求人は、福祉用具部門の他にも、訪問介護ステーションと居宅介護の事務所などを幅広く展開する法人でした。在宅の高齢者の方に、福祉用具を通じて、よりよい環境を提供できる仕事に魅力を感じました。結局、特養には4年半在籍し、退職することになりました。
次回は、福祉用具の会社で満足感を得ながらも、疑問も感じ始めるKさんの様子をお伝えします。
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