母親にすすめられて介護の専門学校に入学し、特別養護老人ホームの職員になったRさん。自然体で入職したものの、入ってからたくさんの疑問を感じ、迷いが生まれたといいます。自分が本当にやりたいことはなんだろう……。立ち止まり、悩み、一度この業界を離れたからこそ、今があります。介護職として悩む人なら、ぜひ、Rさんの転職体験談を読み、人生に生かしてください。
*U・Rさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
U・Rさん(31歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…9年
●転職回数…4回
●今までの勤務先…特別養護老人ホーム、有料老人ホーム
●介護の仕事に就いた後に経験…居酒屋店員
●現在の勤務先…訪問介護事業所
●保有資格…介護福祉士
特養のユニットリーダーとそりが合わない
高校のときは野球に打ち込み、引退は高3の夏。それから受験勉強をする気にもなれず、どうしようかと思っていたときに、母親に「介護の専門学校に行ったらどうか」とすすめられました。勉強もそう得意ではないし、デスクワークは苦手だろうと思ったのでしょう。自分も同じように考えていたので、介護の仕事をしてみようか、と自然に思いました。たいして調べたわけでもないけれど、とにかくデスクワークでなければよかったのかもしれません。
介護福祉士の資格を取得できる専門学校だったので、卒業したらすぐに介護福祉士として特別養護老人ホーム(特養)の職員になりました。実習でも特養に行っていたので、就職後に仕事自体に失望したり、悩んだりすることはありませんでした。けれど、人間関係がどうにも嫌になってしまって。
自分がいたユニットのリーダーが、尊敬できなかったんです。他のメンバーもみな同じように彼の指示に疑問を感じていました。でも、誰も何も言わない。一番苦しめられていた同僚も黙っていたので、自分が代表してみんなの思いを伝えよう、という気持ちで施設長と話をしました。けれど、冷静に話せたのは最初の5分で、すぐに激しい言い合いになってしまって…若かったですね(笑)。
施設長も怒ってしまい、後にも引けず、「こんなとこ、辞めてやるよ!」と捨て台詞を残して、その場で職場を去ってしまいました。就職して1年半。あっけない最後でした。その施設長とは、最近になって和解し、今はありがたいことによくしていただいています。が、当時は若気の至りで、大人の身勝手のような気がして許せず、長い間、音信不通にしていました。
無職というわけにもいかないので、とにかく職を探しました。前の職場は家から1時間以上かけて通っていたので、今度は近いところがいい、と思っていました。すると、家から自転車で5分の特養で募集をしているのを見つけ、面接に行くと、「すぐ来てほしい」とその場で合格。なんだ、こんなに簡単に転職できるのか、と驚きました。
利用者さんの外出支援で介護の醍醐味を味わう
次の特養でも、仕事内容はほぼ同じでした。けれど、ここで利用者さんを外出支援したことが、自分の転機になりました。そこで出会ったのが65歳の四肢麻痺で、寝たきりの男性。数年前までは大企業の社員として海外出張で世界を飛び回るエリートでした。それが、交通事故で動けない身体になってしまって…。脳は障害を受けず、クリアだったので、よけいに気の毒でした。野球が好きで、プロ野球観戦がしたい、と言っていたので、ホームやご家族に許可をもらい、2カ月準備してお連れしたのです。
結果、とても喜んでもらえました。やっぱり、「外出」の力は大きい。特養というところは、とにかく利用者さんを大事にするあまり、危険から遠ざける部分があります。けれど、人は生きている限り、楽しむべきなのではないか、と自分は思うのです。野球にお連れした利用者さんだって、その後の顔つきまで明るく変わりました。
以後は、できるだけ利用者さんに楽しんでもらおうと、率先して動きました。ユニットの利用者さんみんなで水族館や動物園に行く企画を立てたり、お祭りの実行委員会に所属し、地域の人も巻き込んで大きなイベントを開催したり。利用者さんに笑ってもらいたくて、できることはなんでもしようと考えました。
食事や排泄、入浴の介助だけで介護の仕事を終わらせたくない、そんな気持ちがどんどんつのっていきました。
次回は、仕事を辞め、海外に目を向けるRさんの様子をお伝えします。
*U・Rさんの「私が転職した理由」…1回目、
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