ひたむきに介護の仕事に向き合い、キャリアを積んできたR・Tさん。
人間関係などの周囲のざわめきに心を惑わすより、利用者さんへの思いや自分の成長にフォーカスして仕事を進めてきました。
その静かな強さが、今のRさんを創っているように思えます。
こんな仕事への向き合い方をしたい、とお手本になるようなRさんの転職体験談。
4回に分けてじっくり読んでみてください。
*R・Tさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
R・Tさん(41歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…21年
●介護の仕事に就く前…介護福祉士養成校
●介護業界での転職回数…4回
●いままでの勤務先…特別養護老人ホーム、居宅介護支援事業所、認知症型グループホーム、介護付き有料老人ホーム
●保有資格…介護福祉士、介護支援専門員
寮があり、経営母体がしっかりしている特養がいい
もともと養護学校の先生になりたいと思っていたのですが、高校のときに、祖母が特別養護老人ホームに入居したのをきっかけに、介護の世界に興味を持ちました。
母子家庭で育ち、何か手に職を得て仕事を続けていきたいと考えて、介護福祉士の養成校に入学しました。
2年で卒業するときに、まず考えたのは、仕事場の近くに寮があること。
いつまでも実家にいないで独立したかったんですね。
それと、新しく立ち上げる老人ホームがいいと思っていました。
歴史のあるホームにはベテランの方がたくさんいて、がんばっても昇進できずに頭打ちかもしれないですし、もしかしたら人間関係も難しいかもしれない。
それより、全員が同時に新しく仕事を始める新規事業所がいいと思いました。
その思いは、介護の仕事を20年以上やってきた今も変わりませんね。
そんな条件を念頭に置き、さらにしっかりとした母体があるところが安心だと思い、自治体の事業体が運営する特養を選んだのです。
急に倒産するような事業体では、自活を続けるのにも不安定ですからね。
入職したのは、1階と2階にそれぞれ40床ずつの、ほどよい規模の特養です。
当時はまだ措置の時代で、個室のあるユニットケアは始まっていなくて、2フロアとも4人部屋での介護でした。
ただ、介護保険が始まる前は、人員配置の点では余裕があり、今より時間的にゆったりと介護ができました。
公務員のような感覚で働いていましたね。
入職してから5年たったところで介護保険が導入になり、全体的に厳しさが増しました。
それでも20代のころは責任もあまり持たされず、ここでは総じてのんびりと仕事をしていたな、と思います。
認知症の人の最期に寄り添いたい
そんな中で、認知症の利用者さんと過ごすことが、とても自分には合っているのだということを実感しました。
私が所属していた特養にいらっしゃる認知症の方は、ご自分の元気を持て余して苦しむ時期を過ぎ、穏やかで達観した日々を過ごす方がたくさんいらっしゃいました。
そういう方の、けがれのない言葉や表情の尊さに胸を打たれるのです。
嘘がなく、こちらが取り繕っても通じない。
素のままでお付き合いさせていただけば、受け入れてくださる。
理解する力は落ちてきますが、逆に感受性がとても豊かになっていると感じました。
そういう方に寄り添い、最期までケアさせていただける特養での介護の仕事に、手ごたえを感じていました。
ケアマネジャーの資格も取得し、キャリアアップができたのは、5年が過ぎた頃。
勤務もそれほどきつくなかったので、プライベートも充実でき、20代の終わりには結婚をしました。
ただ、ケアマネジャーの資格を取っても、特養の中で生かす道はありませんでした。
すでにケアマネジャーはいましたし、もうひとりは必要ない。
となれば、別の場で生かしたくなります。
いつまでも「ペーパー・ケアマネジャー」ではしかたないですよね。
ケアマネジャーとしてきちんと仕事をしてみたい、それを実現するには、居宅介護支援事業所に勤務したい――。
8年目、9年目になると、その思いが強くなってきました。
ただ、辞めたいと考える人がたくさんいたので、退職は順番です。
ちょうど10年たったところで退職し、居宅で働くことを決めました。
その頃、ちょうど30歳。意気揚々と介護業界という海を泳ぎ始めたのです。
次回は、ケアマネとして奮闘し、その後は認知症グループホームの立ち上げを担当するRさんの様子をお伝えします。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
*R・Tさんの「私が転職した理由」…1回目、
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