介護現場で利用者さんと接することに、仕事のやりがいを見出していたO・Uさん。
病気でやむなく退職してからも、デイサービスの職員として復職しようと考えていました。それが、偶然の出会いで病院の医療相談員(MSW)に。使命感と激務を体験することになります。
*O・Uさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
O・Uさん(42歳)のプロフィール・転職体験
●介護業界歴…17年
●介護の仕事に就く前…福祉系大学院
●介護業界での転職回数…5回
●いままでの勤務先…社会福祉協議会(デイサービス、介護老人保健施設)、デイサービス、病院、特別養護老人ホーム、居宅介護支援事業所、訪問介護事業所
●保有資格…社会福祉主事、社会福祉士、介護福祉士、ケアマネジャー
病院の生活相談員としてスカウトされる
病気で静養している間は、働きたい気持ちがつのるばかりでした。
ただゴロゴロと寝ているだけの生活に焦燥感を感じ、世間から、また介護の世界からも取り残されていくように感じていました。
早く復職したい、そのためにも病気を早く治すのだ――。
食事にも睡眠にも気を付け、身体を休め、なんとか動けると思えるようになると、以前からチェックしていた新聞の折り込みチラシの求人情報の中から、家から近く、時給もいいデイサービスを探し、面接を受けに行きました。
「週4回ぐらいの勤務から始めて、身体が慣れたら正職員になってください」と言ってくださり、とてもうれしく思いました。さっそくパートで勤務を始めました。
1年半ほどのブランクがあったので、自分としても自信がなく、介護現場で働くほかに、介護・福祉の知識もつけようと、勤務が終わった夜に、勉強会にも出かけました。
そういう場には意欲的な介護職の人たちがたくさん集まって来ていて、非常に刺激になります。
そんな中、知り合った病院付属の居宅介護支援事業所のトップの人に、声をかけられました。
「うちの病院の医療相談員が、今辞めたがっているんだ。君は社会福祉士の資格を持っているんだろう? デイサービスの職員で終わるのはもったいないんじゃないの? よかったらうちの病院の相談員になってよ」と言うのです。
たしかに、社会福祉士の資格を生かすなら、病院や老人ホームの医療相談員や生活相談員として勤務するのが良いに決まっています。
健康の不安もなかったわけではないけれど、話の合う方でしたし、この人がすすめてくれるのなら、という気持ちが強くなりました。
働きはじめてから間もないデイサービスには申し訳なかったけれど、勤務1カ月後には、病院の医療相談員として勤務することに決めました。
人助けをしたいのに…無力な自分に挫折
その勤務先は、身寄りのない方、ホームレスの方、パスポートの滞在期間が過ぎている外国人などが多く入院する病院。
つまり、院内の生活や、そして支払いにも、支援が必要な人が数多くいたのです。
しかも、私はデイサービスや介護老人保健施設(老健)での経験はあったものの、病院などの医療機関で働いた経験がありません。
病棟担当になりましたが、看護師30人に医療相談員である新米の私1人という配置。それぞれの患者さんの問題を投げかけられ、冗談抜きで「死にそう」に忙しい日々でした。
ホームレスの方は、そもそも支払う資金を持っていない人がほとんどです。
生活保護を受けて自治体に医療費を払ってもらいたいのですが、そもそも住所地がないと、生活保護は受けられません。
そこで、上司と相談し、住所地を定め、生活保護を受けられる条件を整えて生活保護の申請についていく、といような仕事のしかたをしました。
滞在期限の切れた外国人の方で、透析が必要な方もいました。透析は、健康保険がないと非常に医療費が高く、年間500万円必要、などというケースもあります。
そんなお金をオーバーステイの外国人が払えるわけもありません。
しかしなんとか、あの手この手で、いわゆる「医療弱者」を支援してきました。
やりがいは非常にありました。自分ががんばることで、人の命が助かる。
病院の医療相談員は、福祉的な使命感の強い人には最適な職場だとさえ思いました。
また、このような臨機応変な対応の経験は、のちにケアマネジャーとしてさまざまな利用者さんに接するときにも大いに役立ちました。
けれど、ここで人生最大の挫折を味わうのです。
私が担当していた初老の女性は、糖尿病で長く入院していました。40歳を過ぎた息子がいますが、無職でアルコール依存症です。支払いが滞り、お金もない様子です。
いくら催促をしても支払いがなく、女性を転院させようにも手立てがありません。
経済的な理由で積極的な治療をすることができない状況で、口から食べられなくなってからは、水だけの点滴を行うことに決めたというのです。
その方は、半年後に亡くなりました。本当に小さくなって亡くなられ、今思い出してもやりきれない気持ちになります。
病院とは? 医療とは? 人の命とは……? 考えさせられた事実でした。
人助けをしたくてがんばっていた自分の糸がプツンと切れました。
こんなことなら、もう、がんばれない――。
とたんに発熱が続き始めました。さまざまな疲れが一気に出たのでしょうね。
なすすべもなく、無力感にさいなまれながら辞表を書き、逃げるように病院を去りました。
3年半を過ごした病院に名残惜しさはありましたが、とにかくここから去ることしか考えられませんでした。
次回は、特別養護老人ホーム、居宅介護支援事業所に転職するも、納得がいかずにもがくOさんの様子をお伝えします。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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