■書名:介護民俗学へようこそ! 「すまいるほーむ」の物語
■著者:六車 由実
■発行元:新潮社
■発行年月:2015年8月25日
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「聞き書き」というアプローチで、介護現場が人生を尊重する場へと変わる
本書は、静岡県沼津市にあるデイサービス「すまいるほーむ」を利用するお年寄りたちの人生に、聞き書きという民俗学の手法を用いて真摯に向き合い、人生の営みの豊かさを考えていくプロセスを一冊にまとめたもの。ちなみに、タイトルにある「介護民俗学」とは著者の造語だ。
著者の六車由実さんは、介護施設は「民俗学の宝庫」だと言う。
本書で紹介されている聞き書きによるエピソードは、利用者たちが体験した戦争時代の意外な日常や、高度成長期の頃の恋バナなど。この聞き書きがなければ、誰に話すこともなく消えていったであろう営みであり、貴重な人生の断片だ。
しかし六車さんが進める聞き書きとは、そうした懐かしいお年寄りの話を集めることが目的ではない。聞き書きには、閉塞的になりがちな介護現場を、もっと開かれたものに変えていく可能性があると言うのだ。
著者が指摘するのは、介護現場のスタッフたちが、利用者がどんな人生を歩んできたのかをほとんど知らない現状だ。利用者一人ひとりの生き方を尊重すべきだ、ということはよく言われることだが、実際にはそれを知る手がかりがないのではないか。
聞き書きは、その手がかりになる。
著者は、送迎中の車の中、入浴介助の時、みんなが集まるレクリエーションの場など、聞けるときを利用していつでも聞き書きをしていく。そこで語られた話を毎月形にし、利用者やその家族、スタッフに渡して読んでもらう。また、聞き書きから派生する形で、利用者一人ひとりの「思い出の味」を再現するイベントも続けている。
そうした聞き書きは、介護現場のあり方を変えていく。
<利用者さんへの聞き書きを行っていくと、それまで援助の対象でしかなかった利用者さんがその生き方とともに立体的に浮かび上がってきて、介護スタッフは、長い人生を歩んできたひとりの人間として利用者さんと初めて向き合うことができるようになってくる。>
聞き書きの特長は、聞き手である介護スタッフが、語り手である利用者に「教えを受ける」という立場になること。そのことによって、人と人との関係が回復し、介護という営みが豊かになると言う。
聞き書きは、傾聴とは違うと言う。傾聴は、不安な気持ちを和らげるなど、利用者への支援が目的にある。そこでは、ケアする側とされる側という関係の固定化がある。しかし、著者が提唱する聞き書きは、支援するために話を聞くのではなく、一人の人間として向き合うため。支援という目的からいったん離れて耳を傾けると、「利用者さんたちは私たちに人生とは何か、生きるとは何かを教えてくれる師となる」と言う。
また、利用者たちにも変化が生まれる。まわりの利用者の聞き書きに触れるなかで、利用者同士がお互いの人生を理解し、思いやることにつながっていったとか。思い出を語った本人も、自分の人生を再評価し、受け入れるきっかけになっていく。
実際、「すまいるほーむ」では、利用者とスタッフ、利用者同士の関係が柔軟に変化した。「スタッフ、利用者という立場の違いがここでは薄れていて、それぞれが人と人として向き合い、支え合いながら共に生きる場所になってきている」と著者は語る。
<民俗学の聞き書きの特徴は、お年寄りの経験値を尊重することである。そうした聞き書きを介護現場で行うことは、利用者さんの生き方が立体的に浮かび上がってきたり、利用者さんとスタッフとの関係性が逆転するといったことばかりでなく、社会において価値を失って無用のものとみなされてしまった「老い」に再び価値を見いだしていく行為なのである。>
本書には、聞き書きについての解説のほか、「すまいるほーむ」のさまざまな取り組みやエピソード、利用者やスタッフとの座談会なども掲載されている。
そこには、一人ひとりの生き方を尊重する介護のヒントがある。介護のあり方、介護施設のあり方に疑問を持ったときに手にとってほしい一冊だ。
<小田>
著者プロフィール
六車由実(むぐるま・ゆみ)さん
社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員。大阪大学大学院文学研究科修了。専攻は民俗学。『神、人を喰うーー人身御供の民俗学』(新潮社)でサントリー学芸賞受賞。東北芸術工科大学芸術学部准教授を経て、心機一転、介護士に。大規模施設で勤務したのち、現在は、デイサービス施設「すまいるほーむ」管理者・生活相談員。『驚きの介護民俗学』(医学書院)で、第2回日本医学ジャーナリスト協会賞大賞受賞。