認知症のケアで大切なことは「社会参加」
「認知症には、二つの偏見がある。」
そう指摘したのは、日本で初めて認知症を持つ当事者であることを公表し、社会に向けて発言した佐藤雅彦さんでした。
佐藤さんが言う、二つの偏見のうちの一つは、「世間の偏見」。
周囲の人間が、認知症を持つ人に対して、説明しても理解できないだろうと考え、一人の大人として扱わなくなることです。
そしてもう一つの偏見は、「認知症を持つ人自身の中にある偏見」。
認知症になると何もわからなくなると自信を失い、新しいことにチャレンジせず、無気力に過ごすようになることです。
佐藤さんが若年性認知症の診断を受けたのは、今から10数年前。認知症への理解は、今ほど広がっていませんでした。まさに、認知症になったら何もわからなくなる、という誤ったイメージが一人歩きしていた時代です。
介護の現場でも、認知症を持つ人への尊厳に対する配慮は十分ではありませんでした。本人の意向を十分に確認せず、介護する側の都合でケアを提供することもしばしばありました。
残念ながら今も、認知症だからと、本人に十分説明をしない、本人の意向を十分確認しない介護職はいます。しかし一方で、認知症を持つ人を、ただケアを受けるだけの存在ではない、と考える介護職は増えてきました。
認知症があってもできることを担ってもらう。可能な範囲で社会参加してもらう。そう考え、接していくことが大切だと理解されるようになってきたのです。
デイサービスの有償ボランティアで、ケアを受ける人の孤立を防ぐ
そうした流れの中で、今、認知症があっても仕事を担ってもらおうという動きが広がっています(*)。
認知症を持つ人がデイサービス利用時間中に有償ボランティアとして働ける道を開いたのは、東京都町田市のデイサービス「DAYS BLG!」。5年にわたる厚生労働省への粘り強い働きかけによって、2011年、デイサービス時間中の有償ボランティアを認める通知を引き出しました。デイサービス時間中の有償ボランティアの扱いについては、より細かく記した通知が、2018年7月に発出されています。
若年性認知症の診断を受けて間もない人や、高齢でも軽度認知障害(MCI)と診断された人などの中には、低下した認知機能も限定的で、体力もある人が少なくありません。
そうした人が、佐藤雅彦さんの言う「二つの偏見」によって社会から孤立し、家に閉じこもるようになっては、認知症の悪化につながりかねません。
若年性認知症の診断を受けた人には、本人は就労の継続を望んでも、勤務先から退職を勧告されるケースもあります。40代、50代で仕事を失うことは、特に男性にとって、社会から見捨てられたかのような大きな敗北感、孤独感、喪失感を抱くことになりがちです。
生きる意欲を失った人に希望を提供できる介護職に
認知症のような治癒を望めない病気の診断を受けた場合、いかにして自分の病気を受容し、その上で生きる希望を失わずに人生を歩んでいくかが大きな課題となります。
その受容の過程は、エリザベス・キュブラー=ロスが唱えた、「死の受容」の過程と通じるものがあります。
キュブラー=ロスの「死の受容」とは、以下の通りです。
否認…現実を拒否して否定する
↓
怒り…否定できない現実に対し、「なぜ自分がこんなことに」と怒りを覚える
↓
取引…現実をなんとか避けることはできないものかと考える
↓
抑うつ…現実を避けることができないと悟り、気分がめいる
↓
受容…現実を受け入れ、気持ちが安定する
介護職は、この受容過程の伴走者となる場合もあります。
しかし、認知症など難しい病気の受容の過程は、このようにスムーズに進むとは限りません。行きつ戻りつすることはしばしばあります。
人によっては「否認」で立ち止まったままになったり、「怒り」が長く続いたりする場合もあるでしょう。時には、受容に至らない場合もあります。
認知症になっても、社会から必要とされる、誰かの役に立てる場があること。社会との接点となる活動でわずかであっても報酬が得られること。それは、認知症の診断を受けた人たちの生きる意欲を引き出す、一筋の希望になり得ます。
これからの時代、利用者の思いに寄り添いながら、そんな希望を提供できる介護職を目指したいものです。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*認知症の人に働く場 店番・畑仕事…地域住民の理解不可欠(日本経済新聞 2018年11月29日)