不仲だった母娘を最期につないだのは、介護職の言葉
施設に勤めている介護職の方は、亡くなる人を見送っていて不思議に思ったことはないでしょうか。
人から声をかけてもらうこと、にぎやかなことが好きな寂しがり屋の人は、職員が多い時間帯に亡くなる。我が道を行く、1人が好きな人は、夜の職員が少ない時間帯に逝く。
まるで自分で亡くなる時間を選んでいるかのようだと、施設管理者の方が語るのを聞いたことがあります。
ある介護施設で、意識を失い、いつ亡くなってもおかしくないと言われながらも、何とか命をつないでいる女性がいました。
この女性には長く不仲の娘がいました。娘は、着替えを届けるなど、必要なことはきちんと行います。しかし、入所以来一度もこの女性と顔を合わせようとはしませんでした。
施設の管理者は、2人の間に何があったのかは聞いていません。しかし、亡くなりそうで亡くならないこの女性は、娘が会いに来てくれるのを待っているのではないかと感じていました。
そして、ある日、娘にそう伝え、「夜も玄関の鍵を開けておくので、いつでも会いに来てほしい」と言いました。夜勤の職員には、娘が来ても気付かないふりをして見守るよう伝えたそうです。
ある夜、女性の部屋に娘がやってきました。すでに意識のない女性とは、もう話はできません。しかし女性の部屋からは、何かを語りかける穏やかな声がしばらく聞こえ、やがて娘は帰っていきました。
そしてその翌日、女性は亡くなりました。亡くなった女性の遺体を整えるとき、施設の管理者は、娘に「一緒になさいませんか」と声をかけました。すると娘はためらうことなくそれに応え、施設の介護職員と共に遺体を清めたそうです。
亡くなったあとにも介護職にはできることがある
また別の施設で、やはり意識がなく、看取りの時期にあるといわれていた男性がいました。
男性はきれい好きで、お風呂が大好きでした。しかし、心臓が弱っており、医師は入浴に耐えられるかどうか分からないと言います。家族は、それでも最後にお風呂に入れてほしいと訴えました。
熱を測ってみると、37度。介護主任は悩みに悩んだあげく、家族に「明日、平熱になったらお風呂に入ってもらいましょう」と伝えました。
しかし男性は、その日の夜、亡くなってしまったのです。
介護主任は、なぜ最後にお風呂に入れてあげなかったのかと自分を責め、声を上げて泣きました。取り返しの付かないことをしたと思ったのです。
そのとき、若い男性の介護職が思いがけない提案をしました。
「それなら今から入れてあげればいいじゃないですか」。
いわば、ご遺体を洗い清める「湯かん」です。それから、提案した介護職と男性の息子の2人で、亡くなった男性を抱えてお風呂に入れ、ひげを剃り、きれいに体を洗いました。男性の家族はとても感謝しながら、男性と自宅に帰っていきました。
看取り期のケアをする介護職だからできる、家族へのサポート
2018年4月、毎日新聞の投書欄にはこんな投書が掲載されていました(*)。
離れて暮らす実母が認知症となり、妹がかいがいしく世話をしてくれていた。
ある日、通っていたデイサービスで誤嚥があり、救急搬送。意識が戻らず呼吸器を付けた。
呼吸器で「生かされている」母を見ると、「苦しさを与えているようで耐えられない」。
看護師にそう訴えると、看護師にこう言われた。これまで世話をしてくれていた妹が母の死を受け入れられるよう、母は命をつないで頑張っている、妹とのお別れができたら天に召されるだろう、と。
そして、3ヶ月半後、この女性の母は意識が戻らないまま他界。しかし、残された家族が納得のいく旅立ちだった…。
投書した女性は、母や妹の気持ちに思い至らなかったことを恥ずかしく思う、と結んでいます。
この投書では、女性に助言をしたのは看護師でした。
しかし、介護職が看取り期にある高齢者の家族に向き合う場面もたくさんあります。そこで、亡くなろうとしているその人と共に過ごし、日々のケアをしてきた介護職として、何を感じ取り、どんな言葉をかけ、どんな行動を取ればよいのか。
介護職は、介護実務をレベルアップするだけでなく、そうした感性を磨いていく必要もあるのかもしれません。
<文:宮下公美子 (社会福祉士・臨床心理士・介護福祉ライター)>
*女の気持ち お別れの時間(毎日新聞 2018年4月23日)